かつての日本は美しかった

日本人の為の日本、かつての美しかった日本を取り戻さなければなりません。

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【歴史捏造の父 李承晩】

【100万人処刑? "韓国史最大タブー"の教訓】
保導連盟事件が残した癒えない傷跡
2017.7.30 PRESIDENT

 数年前からマンションの建設ラッシュに湧くソウル。東京の2~3倍という価格にもかかわらず、資産形成を夢見るソウル市民の間では売れ行き好調だという。だが今から67年前、ソウルとその近郊は、北朝鮮軍の怒涛の進撃に飲み込まれた。阿鼻叫喚の混乱のなか、李承晩・韓国大統領(当時)は自らの失策の責任を反対派の国民に押し付けた……。

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荒廃したソウル市内で、がれきの中に座りこむ年配の女性(1950年11月1日、写真=ROGER_VIOLLET)


首都ソウルの地政学的リスク

 ソウルでは数年前からマンションの建設ラッシュが起きています。販売価格は東京のマンションの2~3倍。そんな高額物件が次々と売れるというのですから驚きです。

 ソウルは北朝鮮に近接しており、地政学的に極めて危険な都市です。北緯38度線の南北軍事境界線付近には、北朝鮮軍の長距離砲など300門以上がソウルを標的にしており、これらが一斉に火を吹けば、ソウル市民100万人に死傷者が出るといわれています。

 それでも、ソウル市民は市内に高額なマンションを買い、そこに資産を形成します。ちなみに、保険会社は戦争で家屋が損傷を受けても保険金を支払いません。どの国でも、戦争は保険金支払いの免責事由となっています。

 戦闘が始まれば、朝鮮戦争の時のように、漢江の橋を落とし、漢江を防衛線にする戦略をとることが想定されます。そうなれば、また、ソウル市民はどこへも逃げることができません。

 韓国では、首都を南に移すことも検討されました。朴槿恵前大統領の父の朴正煕大統領は1970年代、首都移転構想を打ち出します。これは実現しませんでしたが、その後、盧武鉉大統領がソウルの南東120キロの地に「世宗市」を建設し、ここを新しい首都にしようとしました。しかし、保守派の反対や2004年に出された憲法裁判所の首都移転違憲判決により、遷都計画は頓挫しました。

 朝鮮戦争の時代、韓国は追い詰められて、水原、大田、大邱、釜山と政府の拠点を移しました。それ以降、ソウルに首都を置き、北朝鮮を押し戻すということが政府の使命とされ、ソウルから遷都することは「後退」であると、否定的に捉えられたのです。

スケープゴート探しの果てに

 1950年6月25日、朝鮮戦争の開始から1週間で、韓国は政府を釜山へ移します。李承晩大統領ら政府は国民を見捨てて、ひたすら逃げるのみでした。無為無策の韓国政府に対し、国民の批判と怒りが沸き起こります。

 政府はこれらをかわすため、スケープゴートを探し、とんでもないことを始めました。韓国現代史の最大のタブーとされる保導連盟員の大量処刑(保導連盟事件)です。政府は、韓国軍が北朝鮮軍に簡単に敗退するのは韓国民の中に北朝鮮と内通するスパイがいるからだ、と喧伝しました。

 保導連盟とは共産主義からの転向者や政治犯、その家族らを再教育するために加盟させた組織で、いわば政府に批判的な人々をリストアップした集団でした。その中には、配給がスムーズになるという理由で、貧困層や素行不良な一般市民も多く含まれていました。

 李承晩は「ブラック・リスト」に載っている彼らをスパイと決め付け、軍や警察に処刑するよう命じました。反対派を恐怖政治によって黙らせ、政府の失態をスパイの責任にしてしまおうという魂胆でした。

 このとき、多数の保導連盟員が韓国全土で処刑されました。保導連盟事件の犠牲者数には諸説ありますが、この事件の遺族会にあたる「全国血虐殺者遺族会」は114万人が処刑されたと主張。韓国政府の「真実・和解のための過去史整理委員会」を率いた歴史学者の金東椿氏は少なくとも6万人から11万人、朝鮮戦争研究の第一人者である延世大学の朴明林教授は、1950年だけで20万人が処刑された可能性があるとみています。

 いずれにせよ、朝鮮戦争で犠牲になった韓国の民間人の相当部分が、北朝鮮軍によって殺されたのではなく、自国の政府によって殺されたことを忘れてはならないでしょう。(金東椿氏は、北朝鮮軍がのちに国連軍によって北へと押し戻される際、同様の規模で「南の協力者」の集団処刑を行ったとも推測しています)

 この大量処刑で、政府批判はピタリと静まります。政府にとって、この措置は極めて効果的であったのです。

 危機は敵・味方区別なく、あらゆる存在を「脅威」に変えてしまいます。脅威が脅威を呼ぶ負の連鎖の中で冤罪(えんざい)が巻き起こり、必然的に、多くの犠牲者が発生します。

ようやく応援のアメリカ軍が来たが……

 韓国政府が釜山へ移った7月2日以降、待ちに待ったアメリカ軍の部隊投入が始まります。「アメリカ軍が来ればもう安心だ」と李承晩は手放しで喜んだといいます。

 ところが、アメリカ軍は士気の高かった北朝鮮軍に各地で敗退しました。アメリカ軍では第2次世界大戦の終結時に多くのベテラン軍人が退役しており、急ごしらえの実戦経験のない部隊が編入され、士気も低かったのです。

 アメリカ軍は大田(テジョン、韓国中部の都市)で大敗すると、釜山まで撤退します。その際、北朝鮮軍によりアメリカ兵捕虜が虐殺される「303高地の虐殺」が起きています。北朝鮮の金日成は、「解放記念日」の8月15日までに釜山を陥落させて朝鮮半島を統一すべし、と声明を発表します。

 焦った李承晩は日本の山口県に亡命政府を受け入れてもらうよう、日本と交渉を始めています。大の日本嫌いであったにもかかわらず、日本に助けを求めたのですから、まさに恥も外聞もありません。

 しかし、当初は敗退し続けていたアメリカ軍も、釜山近郊でようやく北朝鮮軍を押し返しはじめました。「アメリカに助けてもらう」という李承晩のもくろみは、何とかギリギリのところで達成されたのです。
http://president.jp/articles/-/22707
http://president.jp/articles/-/22707?page=2
http://president.jp/articles/-/22707?page=3


【67年前に橋上の市民を爆破した韓国大統領】
有事に真っ先に逃げ出すトップの罪
2017.7.29 PRESIDENT

 1950年6月にに突如勃発した朝鮮戦争は、数々の歴史的教訓に満ちた凄惨な戦いだった。今回のテーマは、北朝鮮軍の戦車部隊が、ソウルをめがけ殺到する中で起きた驚愕のエピソードだ。市民や自軍兵士を置き去りにし、われ先に逃げ出した大統領の姿は、2014年のセウォル号事件の悲劇を思い出させる――。

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北朝鮮軍の突然の侵攻に打つ手なしだった李承晩・韓国大統領(左)。右はダグラス・マッカーサー連合国軍最高司令官(写真=AFP=時事)

当てにならない責任者

 2014年、韓国のセウォル号が沈没した際、避難誘導の任にあたるべき船長が真っ先に逃げました。船長は「船室で待機するように」との船内放送を流しており、この指示に従って船室にとどまった乗客は水が船室に流れ込み、出られなくなってしまいました。その結果、修学旅行生ら293人の若い命が失われました。

 1950年の朝鮮戦争の際、李承晩大統領はラジオで「国軍が北朝鮮軍をよく防いでいる。落ち着いて行動するように」という放送を流します。ソウルに北朝鮮軍が迫っていましたが、ソウル市民はこの放送を信じて、避難行動をとりませんでした。

 ソウル北郊の住民たちが大挙、ソウルへと避難し、大砲の音が間近に聞こえた時、ようやくソウル市民は「これはタダ事ではない」と気付きはじめたのです。この時、李承晩大統領は既にソウルから脱出していました。

 ソウル市民は北朝鮮に対し、「同族」の意識が強くありました(今でもある)。同じ民族どうしで、殺し合いなどできるはずがないと。民族を分断する戦争というものへの実感がほとんどなかったのです。そのため、市民の多くは大砲の音が間近に聞こえても、血に飢えた敵軍が迫っていると理解できなかったのです。

ソウルは3日で地獄と化した

 一方、「逃げ遅れれば殺される」と危険を感じ取ったソウル市民は避難しはじめました。ソウルから南へ逃れるには漢江(ハンガン)を渡らなければなりません。市民は漢江大橋に殺到し、付近は大混乱でした。

 1950年6月25日、北朝鮮軍が38度線を越えて侵攻を開始して3日後、北朝鮮軍はソウル市内に突入します。韓国軍は北朝鮮軍の南下を食い止めるため、漢江大橋を爆破する計画を李承晩大統領に報告します。

 ほとんどのソウル市民はまだ、市内から避難していません。橋を爆破するということは彼らを見殺しにするということです。李承晩はそれをわかっていながら、橋の爆破を許可しました。

 午前2時30分、夜中でしたが漢江大橋の付近に、押すな押すなと市民が詰めかけていました。軍が市民を制止しようと試みましたが現場はパニック状態でもはや統制不可能でした。約4000名の市民が橋の上を徒歩で渡っている最中、橋は爆破されました。橋の上にいた市民約500~800名がこの爆破で死にました。

 漢江北岸には多くの市民が取り残されました。この時、市民は自分たちが政府に見捨てられたのだと実感しました。

 政府が見捨てたのは市民だけではありません。韓国軍の数千人に及ぶ部隊も、まだ取り残されていました。彼ら軍人は1000両にも及ぶ車両やおびただしい武器を持っていましたが北朝鮮軍にそれらを接収された上、殺されました。

 市民は警官、役人、地主などから順番に、北朝鮮軍に殺されていきました。北朝鮮軍が軍事侵攻をしてからわずか3日、ソウルは地獄と変わり果ててしまいます。3日前まで、こんなことが起こるとは、ソウル市民は誰も想像しなかったでしょう。

逃げに逃げた李承晩

 漢江大橋は爆破された一般橋(人道橋)と、それとは別に、少し離れたところに鉄道橋が掛かっていました。軍はこの鉄道橋の爆破に失敗しました。そのため、北朝鮮軍はこの鉄道橋を通って、戦車部隊を南に送り込むことができました。

 一般橋の爆破で、多くの市民が渡河できず、犠牲になりましたが、鉄道橋が破壊されなかったため、結局、北朝鮮軍を足止めすることはできませんでした。とんでもない失態です。当時の韓国軍の管理体制が、いかにずさんなものであったかがよくわかります。政府は爆破の失敗を現場の実行者のせいにして、彼らを処刑します。

 李承晩大統領は大田(テジョン 韓国中部の都市)に逃げ、そこまで北朝鮮軍が迫るとさらに大田を捨て、大邱(テグ 韓国南部の都市)に逃げます。さらに、大邱にも北朝鮮軍が迫ると、釜山に逃げました。李承晩は7月2日に釜山に到着しています。

 韓国軍は漢江大橋爆破以後、士気を大きく低下させて、指揮系統を失い、北朝鮮の進撃にまともに抗戦することもできませんでした。

 しかし、ようやく開戦から1週間たった7月2日以降、アメリカ軍が本格的に部隊を送り込みます。李承晩ら政府の首脳部が当てにしていたアメリカの軍事介入はアメリカ本国との連絡調整、準備などに手間取り、遅れていました。アメリカのトルーマン大統領は朝鮮半島への介入に、慎重かつ消極的でした。この間、釜山が陥落していたとしても不思議ではない状態でした。

 アメリカ帰りの李承晩は口を開けば、「アメリカ、アメリカ」でした。その彼のメンツも大いにつぶれたのです。過度な同盟依存はろくな結果とならない。歴史が教える教訓です。
http://president.jp/articles/-/22685
http://president.jp/articles/-/22685?page=2
http://president.jp/articles/-/22685?page=3

韓国では建国の父と言われているけど、保身の為に歴史を捏造した『歴史捏造の父』。
卑怯で、嘘吐きな詐欺師。

そして、在日朝鮮人が主張する、『日本に強制連行されて来た』と言う嘘。
実際は、保導連盟事件で殺されるのが怖くて国を捨てて逃げだして来た共産主義の卑怯者集団。
ニューカマーと言われる在日は、不法滞在者集団。
なんで日本人が、日本人の税金で保護したり、保障したりせなあかんねん!!
そろそろ終わりにしようや。
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プロフィール

nanakotedy

Author:nanakotedy
イタリア ローマで生まれ、10歳までイタリア育ち
大学卒業後、帰国
母方の祖父母と同居中

度重なる歴史認識の違いと言う言葉に、改めて近代史を学び直しています

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