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【孫政才の失脚の陰に現代自動車あり?】

[週間朝鮮]
孫政才の落馬(失脚)で、現代自動車非常『新たな貴人掴め
2017.07.30 07:08 朝鮮日報朝鮮語版

 中国の次期首相と占われた孫政才前重慶市書記が7月15日突然落馬(失脚)し、現代自動車グループの中国事業に非常灯が付いた。孫政才前重慶市書記は、25人の中国共産党中央政治局員の中で現代と最も厚い縁を構築した政治家とされる。

 秋の第19回党大会で7人の中央政治局常務委員会就任は当然視され、2022年の第20回党大会では胡春華広東省書記と共に6世代指導部の2大ポスト候補(党総書記、国務院首相)に公然と名前が挙がる次世代の指導者候補だった。そんな孫政才が7月19日、現代の合弁法人 北京現代初の重慶工場の竣工式を4日後に控え落馬(失脚)したのである。

 結局、7月19日の重慶工場の竣工式は、NO.1の孫政才が抜け、NO.2の張國清市長(副書記)が主席して行われた。孫政才が抜けた竣工式に出席した韓国の要人も、現代自動車グループのチョン・モング会長の息子チョン・ウィソン副会長に下方修正された。

 我が国の政府の要人も、重慶地域を管轄するアン・ソングク(成都)総領事の出席に留まった。現代自動車の中国西部初の生産工場の竣工式としては、余りに質素なイベントになった。

 これは昨年10月、河北省常州の北京現代第4工場の竣工式に、現代自動車グループのチョン・モング会長が出席し、趙克志河北省党書記、キム・ジャンス駐中韓国大使が竣工式に出席した事と対比される。チョン・ウィソン副会長は、重慶工場の竣工式直前、現代自動車のソル・ヨンフン顧問(前副会長)はイ・ウォニ社長と共に、陳敏爾新重慶市書記が式典に短時間出席しただけである。現代自動車グループの某関係者は、「最近の対外活動は、チョン・ウィソン副会長が殆ど主管する。工場建設の度にチョン・モング会長が出席する訳では無い」と話した。

 現代自動車と孫政才の縁は、2002年現代自動車の中国進出初期に遡る。中国進出の後発走者として、当初中国最大の消費市場の上海を狙っていた現代自動車は、あちらこちらで押し出され定着したのが北京である。中国としては、首都北京の自動車市場を『義和団の乱(1900)』当時、『八カ国連合軍』の一員として北京を占領したドイツ・日本・アメリカ企業に渡す事は、自尊心が傷付いた。結局、韓国企業の現代が漁夫の利を得た。この時、現代が生産工場に指名した北京市東北部の郊外周辺の順義区の区長を務めていたのが孫政才である。

 孫政才に同行したのは、現代の中国進出を実質的に指揮したソン・ヨンフン当時現代自動車顧問(前副会長)と山東省の栄成だった。農科大学出身の孫政才は、北京順義県(順義区の前身)の副書記を務め一線公職に乗り出し、1997年~2002年まで、順義県の区長を務めた。孫政才との縁は、彼の直属の上官だった賈慶林、当時北京市書記に繋がる。結局、現代自動車の初の中国工場の土地は、2001年10月、チョン・モング会長と賈慶林当時北京市書記との北京会合で、北京市順義区に決まった。

 その後、現代自動車は、賈慶林と孫政才の全面的な支援を背景に、後発走者の低認知度を急速に克服した。特に、2002年賈慶林が党の序列4位の全国人民政治協商会議(政協)主席、中央政治局商務委に就任し、現代自動車の黄金時代が到来した。同時に、孫政才も、僅か39才で北京市党委員会秘書長に就任し、賈慶林の後任の書記、劉淇を補佐する。チョン・モング会長が2003年、韓国人初の北京名誉市民になったのもこの頃である。その後、現代は2008年、北京オリンピックを控え、タクシー交替作業の標準モデルに採用され、パトカーなど官公庁に車両を納品する事に成功し、『現代速度』と言う新造語が出来るほどの大成功を収めた。

第2の賈慶林・孫政才は誰?

 賈慶林、孫政才を両軸にした現代の対中関係は、2012年の賈慶林の政治局商務委退任後も続いた。孫政才と言う中国政界に新たに浮上する星があったからである。孫政才は2006年、温家宝首相に最年少農業部長に抜擢され、2009年吉林省党書記、2012年張徳江重慶市書記(現全人大常務委員長)の後任として重慶市書記に就任した。長官級(閣僚級)の中央部署のキャリアと、地方政府2ヶ所の勤務と言う最高指導部入りの条件を備え、次期政治局商務委入りが有力視されていた。

 現代が、中国西部初の生産拠点に重慶を選んだのも孫政才を意識した選択である。現代の第4工場建設が計画されたのは2013年5月。既存の事業基盤である北京外部初の完成車生産拠点の為、用心深かった。地域毎の言葉や文化に不慣れな中国では尚更である。結局、第4工場の場所は、2014年3月チョン・モング会長が重慶を訪問し、『戦略合作基本協議』を締結し、重慶に決まった。しかし、その最中、地方政府の間で現代の工場誘致の為の水面下の競争が行われ、河北省滄州が突然加わり複雑になった。滄州は孫政才に近い賈慶林の故郷で、賈慶林の弟 賈発林が副市長を務めていた。

 最終的に、現代の第4工場は河北省常州滄州市、第5工場は重慶に整理された。滄州工場は2015年4月着工し、2016年10月に竣工、重慶工場は2ヶ月遅れの2015年6月着工、7月19日に竣工した。滄州工場と重慶工場は、いずれも年産30万台で生産能力は同じだが、北京第1・第2・第3工場と地域基盤が重なる滄州工場は、あくまで既存の生産拠点の補完の概念で、傍点は現代初の中国西部の生産拠点の重慶である。中国事業に占める地位も、止む終えず進出した滄州以上に、人口3,000万人の中国最大の都市重慶を重視せざる得なかった。

 しかし、竣工式の4日前、10数年間信じて来た孫政才が落馬(失脚)し、現代は新たな『貴人』探しで非常事態になった。滄州のは賈発林前副市長も、2016年3月に交替させられている。新たな貴人の構築作業を担当する人々も、2014年2線後退し、再び非常任顧問で経営復帰したソル・ヨンフン顧問(前中国事業総括副会長)を筆頭に、タム・ドグェン副社長(中国支援事業部長)、ソル・ホッジ常務など、現代自動車グループの華僑出身役員になると見られている。

 特に、ソル・ヨンフン顧問の息子ソル・ホッジ常務は1976年生まれで、現代自動車グループの最年少役員として代を繋ぎ、現代自動車の対中攻略を担当する。最近、中国市場の占有率低下で苦戦中の現代自動車の手を握る貴人がいつ現れるのかに注目したい。
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2017/07/28/2017072801958.html

韓国企業が成功する国は、不正腐敗塗れの賄賂万能主義の国に限られる。
腐敗官僚、腐敗警察に賄賂をばら撒き、現地の規則や法律を破っても、それを見逃す政府高官や役人がいる国。
つまり、大統領ですら金で買える韓国と同じような国じゃないと・・・。

孫政才の失脚理由は分からないけど、孫政才失脚の陰に現代自動車あり?
『断交レベルの報復』の一貫だったりして・・・。(笑)
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nanakotedy

Author:nanakotedy
イタリア ローマで生まれ、10歳までイタリア育ち
大学卒業後、帰国
母方の祖父母と同居中

度重なる歴史認識の違いと言う言葉に、改めて近代史を学び直しています

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