かつての日本は美しかった

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【超絶キモイ!!】

【どうしてパク・クネは、
40年間もチェ・テミン一族に『捕捉』されていたのか?】

2016.11.08 週刊京郷

 易学には官災数(国家権力から民衆が災厄を被る運命、又は『噂などに苦しめられること』)と言うものがある。易学に、ある程度精通する人であれば、登記簿謄本などに1956年6月23日生れと記録されているチェ・スンシルの運勢が気になるだろう。『チェ・スンシルゲート』は、チェ氏にとって、人生最悪の官災数に当たるだろう。

 パク・クネ大統領とチェ・スンシルの名前が『裁判』に初登場したのは1987年9月である。育英財団子供会館対策委員会の印刷物にある彼女の名前が問題になる。「子供会館で、私心無く働いた経験豊富な職員は他意によって退き、無能で操り人形に過ぎない人物は、設立者の思いを無視し、1970年から発行されて来た竹馬の友を廃刊にした(中略)、これらは設立者とパク・クネ理事長の趣旨を無視するチェ・テミン、チェ・スンシル親子と、それに追従する御用幹部によって行われ・・・」、設立者とは、パク・チョンヒ大統領の妻ユク・ヨンス女史である。

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1976年パク・チョンヒ大統領(左)が、大韓救国布教団夜間診療センターを訪問し、パク・クネ名誉総裁、チェ・テミン総裁と話している。/京郷新聞資料


『チェ・スンシル』、87年の育英財団紛糾に初登場

 育英財団で働いていた要人は、チェ一族の専横が1983年、チェ・テミンの妹、つまりチェ・スンシルの叔母の登場で始まったと記憶している。「あの頃チェ・テミンは父親より上だった。今のチャンスン(木像)の裏手に住宅があり、当時は今のように霊安室で無く、自宅で葬儀を行った。訪問したチェ・テミン一族は、ごく平凡な普通の家族だった。その後、数年経たずに巨万の富を築いた。その富は、チェ親子、一族、親戚、一族総出で引き出したものだと、当時の職員は認識していた」

 2007年のハンナラ党大統領選候補選挙委員会の書面調査でチェ・スンシルは、「当時、江南(カンナム)で経営していた幼稚園が上手く行き稼いだ金」だと、疑惑を否定した。金を稼いだのは事実である。

 現在、チェ氏が所有している江南(カンナム)区新寺洞(シンサドン)のミスンビルに彼女が経営する幼稚園があった。乳児教育事業に興味があったチェ氏は、『ミンククチェ英才教育研究院』と言う研究所を設立し、所長に就任する。この機関は、当時唯一の英才教育機関だった。

 記者は2012年、チェ氏と共同論文を書いた教授に接触し、チェ氏と夫チョン・ユンフェ氏の『過去の行跡』について話を聞く事が出来た。

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1990年代初頭、育英財団の紛糾現場などにばら撒かれた
チェ・テミンを非難する小冊子。

 チェ氏が行方不明になり、彼女の経歴や以前の活動について、誤報が続出した。本名をチェ・ピルニョからチェ・スンシルに改名したと言う報道が代表的である。

 新心奉仕団の事務総長を歴任したチェ・ピルニョ氏は、後述する『チェ・テミン報告書』に登場するが、中小企業の社長夫人で、報告書の作成時点で35才の人妻である。顔も確認出来る。

 国家記録院には、1979年9月3日チェ氏が『新心奉仕団』が街頭で集めた1億ウォンの水害義援金を、パク・チャンヒョン当時文教部長官に手渡し談笑する写真が公開されている。ニュースTAPAが公開した同年6月11日、漢陽(ハニャン)大学の校庭で行われた『第1回新心の祭典』に出席したチェ・スンシルの映像も国家記録院の『大韓ニュース1242号』で見る事が出来る。

 文化観光部が制作した大韓ニュースは、昔劇場で映画の上映前に流れた国政ニュースである。当時は知らなかったが、『パク・クネ大統領とチェ・スンシル』の映像が、維新政権便りとして全国の劇場で上映されていた。

 新心奉仕団の事務総長は30代後半~40代の女性の席だった。維政会の国会議員を歴任したシン・ドンスン氏も、この団体の事務総長を歴任している。これも『チェ・テミン報告書』に記録されている。シン・ドンスン氏は、檀国(タングク)大学のチャン・チュンシク理事長の妻である。

 2014年12月の『報告書』に夫人が登場している事を知っているのか?との<週間京郷>の質問にチャン理事長は、「そうで無くともチェ・スンシルで騒がしく、今朝知っているのか?と妻に尋ねると、知らなかったと言う。妻が事務総長を務めていた関係で、チェ・テミンがいた阿峴洞(アヒョンドン)のオフィスを訪ね、会った事がある」と答えた。

 『チェ・スンシルゲート』の最大のミステリーは、どうしてパク・クネ大統領は、チェ・テミン牧師から代を引き継ぎ、娘のチェ・スンシルに『意見を聞き、支援される』(10月25日のパク・クネ大統領対国民緊急謝罪の文中)関係になったのか?と言う事である。まず、父親のチェ・テミンを調べる必要がある。

パク・クネ、チェ・テミンに同行し、ノ・テウに面談?

 「訪ねなさい!!聞きなさい!!大韓民国は『世界の主導国』になると伝えられた勅使(ちょくし)様の権能とお言葉を」

 1973年7月、大田(テジョン)市内に撒かれたビラである。勅使とは、チェ・テミンを指している。チェ氏は、大田(テジョン)市仙花1洞役場に宿舎を用意し、『零細教勅使官』と言う看板をあげた。(チェ・テミンは、永生教の牧師と報じられたが、彼の教会は永世教で、チョ・ヒソンの永生教とは無関係である)。

 2012年、大統領選挙を控えて出版された書籍<太子ママと維新プリンセス>によると、亡くなったインチキ宗教研究家のタク・ミョンファンが大田(テジョン)のチェ・テミンの宿舎を訪れている。

 「宿舎の壁には、色とりどりの円が描かれ、それを真っ直ぐ凝視しながら『木慈悲調和火』と唱えると、万病を支配し、道統の境地に至ると主張した。それが、彼の言う『零細系の法則』である。

 太子ママと維新プリンセス14ページによると、タク氏はこんな話を残している。「チェ・テミンには、魔術とか、一種の催眠術とか、そんな妙なものがあるようだ。だからパク・クネも抜け出せないのでは無いか?」(タク・ミョンファン氏の息子で釜山(プサン)長神(チャンシン)大学教授は、これについて、「父が実際そんな事を言ったのかは確認されていない。しかし、関係性は深刻に受け入れたようだ」と話している。)

 「1987年12月16日の大統領選挙後、当時当選者だったノ・テウ大統領は、各界各層の要人に会った。対象者にはパク・クネも含まれていた。約束場所の新羅ホテルにパク・クネは、チェ・テミンと一緒に来たと言う」

 1991年、育英財団の紛糾中にばら撒かれた『7つの名前持つ牧師と言う希代の詐欺師チェ・テミン』と言う小冊子の中の文章である。チェ・テミンは、この席でノ・テウ当選者に、パク・チョンヒは国父で、ユク・ヨンスは国母だと主張したと冊子は伝えているが、事実か否かは確認されていない。

 市中に出回る『チェ・テミン報告書』と言われる彼の不正・犯罪を含む文書もある。この文書が世に出たのはなぜか?文書を最初報じた<新東亜>関係者は、「報道後、参加政権末期の与党の高位要人のHPに、『安全企画部』と言うタイトルで投稿され、すぐに削除された文書が拡散したようだ」と話した。

 中央情報部の文書として知られているが、文書は安全企画部時代の1988年制作と見られている。1912年生れのチェ・テミンが76才と表記されているからである。記者は、この文書の真偽を永らく取材して来た。

安全企画部が『チェ・テミン報告書』を作成したのは何故か?

 2009年、記者が会った文書の作成に関与したとされる元情報機関の要人は、文書が作成された背景について、次のように話した。

 「当時、育英財団理事長のパク・クネが<宮(クン)画報>など月刊誌を発行し、以前、救国奉仕団の活動に参加した者を糾合し、MBCにインタビューさせるなど、政治活動を再開すると噂され、当時大統領府(ノ・テウ政権)が指示した事が分かっている」

 もう1つファイルがある。2007年のハンナラ党の選挙戦過程で、CDなどで流布した『チェ・テミンに弄ばれたパク・クネ』と言うタイトルのファイルである。2つのファイルは、<インサイド ワールド>、様々な女性誌、タブロイド、<中央日報>が『青瓦台秘書室』のタイトルで連載したシリーズの中から、チェ・テミン-パク・クネの関係についての疑惑に関連する部分だけを収集したものである。この記事を見ると、当時の取材記者が、キム・ジン現中央日報論説委員である事に気付いた。

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1990年代初期から密かに回り、2006年頃公開された『チェ・テミン報告書』


「奉仕団で高位職を歴任したキム・ドンブンと言う女性、ソン学長、6・25事変の時、釜山(プサン)国際市場の中にあった建国(コングク)大学の学長が、大量の文書を持って訪ねて来た事を思い出す」。キム・ギョンレ元<京郷新聞>編集局長(88・韓国キリスト教100周年記念事業協議会常任理事)の話である。

 キム氏らが訪れたのは1970年代中盤だった。キム元局長には、パク・チョンヒ大統領と事前に約束した『秘密の連絡ルート』があった。大統領宛ての手紙を封緘後、チョ・ヤンホ儀典首席秘書官宛ての封筒の中に入れて封緘する形で、キム・ジョンニョム秘書室長やチャ・ジチョル警護室長に開けられる事無く、ダイレクトにパク・チョンヒ大統領に手紙を届けるルートである。そのルートで、新聞社に届いた情報提供内容を『チェ・テミンの99の疑惑』と言うタイトルに整理し、送った。

 キム元局長が送ったその文書が、今日『チェ・テミン報告書』として知られる文書の基礎事実になっている。彼が整理した報告書は、1980年チョン・ドゥファンの執権後、チェ・テミンを再調査する際に作成された合同捜査本部文書、そして後の『安全企画部文書』の骨格になったと推定される。

 これまで、チェ・テミン報告書の作成者としてキム元局長に触れる推測はあったが、当事者の証言で確認されるのは今回が初めてである。

 キム元局長は、ファイルを見て激怒したパク・チョンヒ大統領が、チェ・テミンの調査を指示したと話した。「私が送った文書を見て、キム・ジェギュ中央情報部長を呼び調査を命じた。キム・ジェギュは、警察の情報、対人情報、検察の情報、保安司(ポアンサ)―など、『オフィシャルインテリジェンスルート』でチェ・テミン関連の情報を収集した。彼がパク・チョンヒ大統領の机の上に置いた報告書は、このような公式ルートの情報だった。

 一方、チャ・ジチョルも、警護室長を務めながら、国会、マスコミ、文化芸術界に独自の『警護室情報機構』を作っていた。後に牧師になったチョ・グァンジャクと言う人物が総括した事が分かっている。1977年9月12日、チェ・テミンの『親鞫(チングク)』が行われた。キム元局長が伝える実状はこうである。

 「青瓦台執務室がキム・ジェギュを呼び話を聞いた後、チャ・ジチョルを呼んだ。会議後、チャ・ジチョルに、パク・クネが『チェ・テミンはいい人です。いい人なのに、変人にしようする謀略である」としがみついた。チャ・ジチョルは、パク・クネがなぜ、チェ・テミンに、それほど酷く執着するのか?その理由を始めは知らなかった」

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2007年のハンナラ党大統領選挙選挙戦過程で流布し、
問題になった『チェ・テミンファイル』の表紙。


 キム元局長は、キム・ジェギュがパク・チョンヒを撃った事には、チェ・テミンの問題が『遠因』として作用したと考えている。「チェ・テミンの親鞫(チングク)を境に、チャ・ジチョルはパク・チョンヒからキム・ジェギュを遮断した。キム・ジェギュだけで無く、長官など閣僚会議の役員がパク・チョンヒに会うにも、チャ・ジチョルを経由する必要があった」

 <週間京郷>は、キム元局長に2度に会って取材した。1度目は単独で、2度目は他のマスコミの記者と一緒だった。初取材当時彼は、「パク・クネは、チェ・スンシルの問題を早く終わらせなければ大変な事になる」と懸念していた。

 2度目の取材は、JTBCが『チェ・スンシルのタブレットPC』を公開した翌日だった。彼の態度は断固としていた。「パク・クネが没落し、レイムダックが訪れるなどと言うような問題では無い。このまま行けば、大統領が法廷に立つ事になる悲劇の種を内包している。チェ・テミンで始まった不正は、単に個人間の不正に留まらず、大韓民国の悲劇になり得るだろう」

 2007年、ハンナラ党の大統領選候補選挙戦でイ・ミョンバク候補の側に立ち、パク・クネ候補の検証を担当したチョン・ドゥオン議員は10月27日<京郷新聞>に、チェ・スンシル ゲート、特に、国政機密が沢山保存されているタブレットPCが流出した事について、興味深い発言をしている

 「この問題を指揮する者がいるとすれば○○○」とし、この事件の性格は『○○○の復讐戦』と明かした。○○○は、前後の脈絡から考えてチョン・ユンフェである。本当にそうだろうか?

 当時、チョン・ドゥオン議員らが収集した資料の作成者はキム・ヘホ氏である。今回のゲートで、2014年12月『チョン・ユンフェ国政壟断疑惑事件』当時拘束されたパク・グァンチョン警生の「我が国の権力の序列1位はチェ・スンシル、2位はチョン・ユンフェ、3位はパク・クネ」と言う発言の7年前、2007年にキム・ヘホ氏が残した「パク・クネ元代表は、チェ・テミンとチェ・スンシルの操り人形」と言う発言が話題になった。2007年のチェ・テミンファイルは、キム氏が収集した資料を基に作成されたファイルである。

 その後、キム・ヘホ氏は拘束され、6ヶ月服役し、執行猶予で釈放された。彼は、チェ・スンシルらから当時の死者への名誉毀損容疑で20億の損害賠償を請求された。「一昨日、光化門(クァンファムン)の前を通りかかると、20人ほどの大学生が、操り人形のパク・クネをチェ・スンシルが操る絵を描いていた。心の中で苦笑した。私が大予言者だと言うインターネットの投稿も見た。実際、血の涙を流し、(監獄で)半年過ごし釈放された。MBが当選したから、暴露の代価として贅沢三昧しているのでは無いか?と言う人もいるが、青瓦台に呼ばれても、もてなされた事は無い」

 10月28日、記者と通話したキム・ヘホ氏の話である。

 9年前の自身の主張が事実であると明らかになった事について彼は、「国家的悲劇になって胸が痛い」と話した。「国民には、どんでもない苦痛かも知れないが、私にとっては、頭がよだつ苦痛だった。6ヶ月のトラウマで、6年が過ぎた現在も夏でもドアを開けておかないと狭いところで食事が出来ない」

 彼は現在、MSの警備員として働いている。

 今度の事件の最大のミステリーはコレである。パク・クネ大統領とチェ・スンシルの関係がどうであれば、あのような専横が可能だったのか?常識的に広く知られた現夢(ユク・ヨンス女史が夢に現れ、パク・クネにアジアの指導者になれと伝えた)だけで、40年間受け継がれる『信義』が説明出来るだろうか?<太子ママと維新プリンセス>には、次のような証言が載っている。

 チェ・テミンは、神学大学の学長のJ牧師に、「ユク女史とパク・クネしか知らない2人だけの秘密を伝えた」と言うものである。『2人だけの秘密』とは何か?

 先週、<週間京郷>が会ったチョン・ユンフェの父チョン・グァンボ氏は、これまで知られていない興味深い話を伝えた。これまで、知られて来た事とは異なり、2006年のカッターテロ当時、チェ・スンシルは看護出来なかった。それは、当時チェ・テミンの次女(チェ・スンドク氏)に影響する時期だったからだと言う。チョン・グァンボ氏の証言によると、スンドク氏はパク・クネ大統領の聖心女子高校の同級生(8回)である。

パク・クネとの出会いを可能にした『現夢』の秘密は?

 『チェ・テミン報告書』にチェ・スンシルは登場せず、横領・不正の項目に『次女のチェ・スンドク』が登場する。「*奉仕団の帳簿に3,000万ウォンの支出を記載せず、敬老病院の帳簿に全額賃金として虚偽記載した後、77.4.27~8.27、敬老病院の経理課長である次女のチェ・スンドクと共謀、病院の資金を4度、424万ウォン引き出す」

 キム・ヘホ氏が、2007年記者会見で取り上げたチェ一族の専横項目にも、スンドク氏の不動産が含まれている。今度の事件で、スンドクに関連する疑惑が提起され始めている。数年間、チェ一族の非線形実力者疑惑を追跡して来たアン・ミンソク共に民主党議員は、「これまでに分かった事は氷山の一角に過ぎない。国民と共に真実を糾明する」と話した。

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零細系勅使官を名乗り、胎夢、現夢、祈祷、辛酉などの相談を案内するビラ。
1973年7月、大田(テジョン)市一帯に撒かれたビラである。/現代宗教提供


さほど注目されていないが、2012年の大統領選挙当時の同窓会の回顧映像がYoutubeに投稿されている。その動画を検証しても、チェ・スンドクは登場しない。チョン・ユラに続き、別の疑惑の軸に浮上した従妹のチャン・シホは、スンドクの娘である。スンドクも、スンシルや娘ユジンのように改名したのだろうか?

 取りあえず、登記簿謄本上、2014年6月16日までには改名していない事が確認された。8回の同窓会関係者イ氏は、「同級生名簿にチェ・スンドクと言う名前は無い」と話した。チョン・ユンフェの父チョン・グァンボ氏の記憶が間違っているのか?

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1973年5月13日の大田日報(テジョンイルボ)4面。
『勅使』を自任するチェ・テミンが出した広告/現代宗教提供

 「それでは最後に、1つだけお尋ねします。チェ・テミン牧師の婿を秘書として使っていると聞きました。パク議員は、チェ牧師の陰から脱する事が出来ていないと言われています」

 「とんでもない。能力が備わっているから使っているんです。通常、仕事で人を使う時、近しく、良く知る人を使いませんか?」

 2002年4月、チェ・テミンとの関係を尋ねる<月刊朝鮮>の記者の質問へのパク・クネ議員の答である。チェ・テミン牧師の質問を持ち出した時のパク議員の反応は、『激昂(逆上)』だったと記者は伝えた。

 「底意は何ですか?」(パク議員)。パク議員は、最後までチェ牧師を擁護した。これまで知られていない中学・高校の同級生スンドクの存在は、チェ牧師がファーストレディのパク・クネに近付く事が出来た理由の1つのヒントになるかも知れない。共に学生時代を過ごしたスンドクの『ヒューミント情報』がチェ・テミン牧師の現夢に結び付いているのではないか?

 重要な国政文書が保存されたタブレットPCの公開で、これまで10年以上飛び交っていた噂、非線形実力者疑惑が事実と判明したのは、偶然にもパク・チョンヒ大統領の37回忌の前日の10月25日である。

 チェ・スンシル国政壟断事件は、今まさに全貌が現れようとしている。1979年のパク・チョンヒ殺害事件は、韓国の現代史で代表的な不幸な事件である。そして、もしかすると今度の事件は、その出発点である『チェ・テミンとパク・クネの出会いと40年の捕捉』と言う最大の疑問を解く決定的な鍵になるかも知れない。
http://www.weekly.khan.co.kr/khnm.html?mode=view&artid=201611011750571&code=113


【依然残るパク・クネ、チェ一族40年の関係ミステリー】
2017.03.11 16:05 京郷新聞

・イ・ムソン一代記<もう1つの家族>出版で現れた疑惑

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1990年代初めに集まったイ・ムソンの家族
左からチェ・スンドク、チャン・ソクチル(夫)、チェ・スンドク、キム・ギョンオク、チョ・スンジェ、チョン・ユンフェ、チェ・スンシル、チェ・スンチョン

 「被請求人は、国民から委任された権限を私的に乱用した。これは最終的に、チェ・スンシルの私的利益の追求を助け、積極的に繰り返し行われた。特に、大統領の地位を利用したり、国家機関と組織を動員したと言う点で法律違反の程度は極めて重い」

 3月10日、憲法裁判所のパク・クネ大統領の弾劾承認決定文である。

 パク・クネが大統領の地位を利用し、チェ・スンシルの『私的利益の追求』を積極的・繰り返し助けた事は、極めて重い法律違反だと言うものである。憲法裁判所が言及したチェ・スンシルの『私的利益の追求』とは、ミール、プレイグラウンド、ビデクスポーツなど、大統領在任中の2013年以降に行われた事と関連している。

 しかし、それだけか?

 <週間京郷>は、これまでチェ・スンシル国政壟断疑惑を取材・報道じながら、チェ・スンシルとパク大統領の関係はパク大統領の執権の遥か前、父親のチェ・テミンとの関係に遡って調査すべきもので、パク大統領は、どのようにチェ一族に捕捉された過程を糾明すべきと主張して来た。(<週間京郷>1200号、『パク・クネは、どのようにチェ・テミン一族に40年間『捕捉』されたのか?』記事参照)

 「パク・クネが大統領になると、全国がスンシルの食卓になり、パク・クネはスンシルの箸になるだろうから、将来それをどうすればいいのか?」

 チェ・テミンの義理の息子チョ・スンジェは生前そう話していた。この発言は、チョ・スンジェの長男チョ・ヨンネ氏(48)の著書<もう1つの家族>に書かれている。

 最終的に弾劾へと続く、悲劇的な結末を予言していた事になる。

 チョ・スンジェは、2007年の大統領選挙当時、ハンナラ党のイ・ミョンバク候補の関係者に会い、父親とパク・クネの関係について、9時間証言している。

 証言の『録音テープ』は、2007年の大統領選挙当時は公開されず、チェ・スンシルゲートで初めて光が当たる。

 チョ・スンジェは、大統領選挙が行われた2007年12月19日の早朝5時に亡くなった。死因は肺癌である。これまでチョ氏は、大統領選挙の翌日(12月20日)に亡くなったと報じて来たが、事実とは異なる。

 <週間京郷>が会ったチョ・スンジェの長男チョ・ヨンネ氏は、「もし、父か生きていれば、2012年大統領選挙でパク・クネが大統領になる事は無かったと思う」と主張した。

義理の息子チョ・スンジェの『予言』

 3月6日、特検は捜査結果を発表した。

 検察の発表で注目すべき事は、『チェ・スンシルと一族の違法な財産形成・隠匿疑惑』である。特検によると、チェ・スンシル一族の財産は約2,730億ウォン(国税庁申告基準)、相当数は不動産で、一族が所有する不動産(土地・建物)は178件、2,230億ウォン、内チェ・スンシルが所有する不動産(土地・建物)は36件(228億ウォン)に達する。特検が特定したチェ一族は70人、生存者64人、死者6人である。

 特検は、「メディアが報じた疑惑は28件に達し、疑惑とチェ・スンシル一族の現在の財産調査、違法な財産形成、隠匿事実の調査は、時間不足と財産の追跡に必須の口座追跡など、強制捜査の手段を使えず、関連資料を保有する機関が非協力的だった為、限界があった。この部分は未完の為、検察に移行し、今後再調査が行われるようにする」と発表した。

三成洞(サムソンドン)の私邸の購入資金は誰の金か?

 特検は、パク・クネとチェ一族が経済共同体だった根拠の1つとして、パク大統領の三成洞(サムソンドン)の私邸購入当時(1990年)、イム・ソンイとチェ・スンシルが契約を主導し、購入資金を出しただけで無く、住宅管理費、大統領就任後の大統領府・『安家』のインテリア費用もチェ・スンシルが負担していたと発表した。

 「獎忠洞(チャンチュンドン)の自宅を売却し、購入資金を用意したと言う大統領府の反論は嘘である。私は、父(チェ・テミン)の指示で継母(イ・ムソン)が買ったと考えている」

 特検が発表した捜査結果をどう思いますか?との<週間京郷>の質問へのチェ・テミンの息子チェ・ジェソク氏の回答である。

 彼は、「三成洞(サムソンドン)の住宅を購入後、父と継母が『あんな住宅を、どうして買ったの?』と言い争っていた事を思い出す。実際、父が残した不動産目録に、あの住宅があった。後に訪ねてみると、小学校のグランドのフェンスのすぐ隣で煩くて良くなかったと怒っていた事を覚えている」と話した。

 更に、「特貨幣法違反、贈収賄罪で、チェ・スンシルの財産の追徴保全命令を申請したと言うが、チェ・スンヨン、チェ・スンチョン、チェ・スンドクの財産も保全すべき。国会が特検法を作らなければ、私が(国に)請求訴訟を起こしてでも隠匿財産を明らかにする」と付け加えた。

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チェ・テミンの妻イムソン。1970年代半ばの撮影と推定。

 <週間京郷>は、チェ一族とパク・クネ大統領の『関係』糾明の重要な鍵は、チェ・スンシルの母親イ・ムソンで、「姻戚を訪ね回り、皆を利用した」(シン・ドンウク共和党総裁の発言)チェ一族の隠匿財産の追跡の核心は、イ・ムソンとの関係を調査する事」と指摘している。

 「イ・ムソンとの関係が核心との主張に同意する」

 チョ・ヨンネ氏の発言である。

 チョ・ヨンネ氏の著書の元のタイトルは『イ・ムソン一代記』である。

 チョ氏は著書で、なぜイム氏との関係が重要なのかについて、次の通り書いている。

 「チェ・テミンがパク・クネの精神を徹底的に支配出来た理由は、パク・クネの権力への欲望をチェ・テミンが理解し、指導したかららである。イ・ムソンは、釣り師チェ・テミンが釣った魚が大きな魚程度のものでは無く、龍だったと言う事実に最初に気付いた人物である。そう言う意味では、本当の釣り師はイ・ムソンで、チェ・テミンはイ・ムソンが釣り針に付けた餌だったのかも知れない」

 駅三洞(ヨクサムドン)の自宅で行われるチェ・テミンとパク・クネの『密会』を妻のイ・ムソンが放置していた理由も説明出来る。

 1958年頃、イ・ムソンの末娘チェ・スンチョンの出産後、金回りが少し良くなり、広い家に引っ越した。その頃からチェ・テミンの前妻の子供が1人、2人と訪ねて来るようになった。(この証言は、チョ・スンジェの妻キム・ギョンオクの証言と思われる).

 安全企画部の『チェ・テミン一族の家系図』によると、『この広い住宅』は、麻浦(マポ)区阿峴洞(アヒョンドン)50番地にあった。

 家系図によると、慶南(キョンナム)梁山(ヤンサン)市麻浦(マポ)区阿峴洞(アヒョンドン)の住宅は、腹違いのチェ・テミンの子供の出生地(本籍地)になっているが、イ・ムソンが「我が子4人と前妻の子供3人を一緒に育てた」事を証明している。

 「イ・ムソンに他人の子供を育てる気は無かったが、自分のせいで父親を失い、父親を知らずに成長したグァンスクやクァンユン(チェ・テミンの2番目の妻の子供)には申し訳ないと思っていた」としている。しかし、「自身と生活中、チャ・テミンの浮気で生まれたチェ・ジェソクについては色眼鏡で見ていた」。

 留意すべきは、証言は全て種違いの義理の息子夫婦のものだと言う点にある。

 にも拘わらず、こう主張している。

 「後日に起こる悲劇的な事件は、イ・ムソンの欲から始まった」

 「1990年代、初の女性大統領はパク・クネになると決まっている」と予言したのがチェ・テミンであれば、金脈で権力を振り回したのはイ・ムソンだった」

 チェ・テミンの生前に、チェ・テミンの役割を代行し始めたのは三女のチェ・スンシルだった。

 チョ・スンジェは生前、チェ・スンシルを『女チェ・テミン』と呼び、チョ・ヨンネ氏は、イ・ムソンとチェ・スンシルに共通する記憶のキーワードは『貪欲』だったとしている。

 「幼い頃、イ・ムソンが自宅で食事すると、食卓で一番大きな茶碗がチェ・スンシルのものだった。スプーンにどっさり取ったご飯をグルッとキムチで巻き、1口で頬張る様子を見て、イ・ムソンはこう言った。「スンシルは、ご飯も将軍のように食べるのね」と。

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チォイ幼稚園時代と推定される写真。
左端がチェ・スンシル、右綺麗な人がチェ・スンヨン/モダンアーカイブ出版提供


 本の中には、チェ・スンシルに関する興味深い新『証言』が2つある。

 1つ目は、チョン・ユンフェとチェ・スンシルの出会いに関する秘話である。

 チェ・スンシルとパク・クネは性格も似ていた。特別扱いが身に付いていたチェ・スンシルは、飛行機のチケットを自分で買う事が嫌いで、海外に出る度にチョ・スンジェに頼んだ。チョ・スンジェは、旅行会社の経営者を1人紹介して貰い、チェ・スンシルの旅行を予約していた。その時、紹介された人物がチョン・ユンフェだったのである。2人の出会いを斡旋したのがチョ・スンジェだったと言う証言は、初公開のエピソードである。

 2つ目は、元夫キム・ヨンホとの関係である。「離婚後、チェ・スンシルの最初の夫が駅三洞(ヨクサムドン)の自宅を訪れ、家政婦がおぶっていた娘を連れ去った。それ以来、チェ・スンシルは娘の影さえ見ていない」

 この内容は、チョ・ヨンネの母キム・ギョンオクの証言と思われる。「チェ・スンシルと前夫の娘」の消息は未だ不明である。

チェ・スンシルと元夫の娘の行方は?

 チェ・スンシルとチョン・ユンフェの結婚について、最近アン・ミンソク議員が、これまで知られていない証言を新たに発表している。

 従来知られていたチョン・ユンフェとチェ・スンシルの再婚は1995年である。

 しかし、国政壟断ゲートの最中に新たに分かった事は、再婚前の1992年、2人がドイツにジュベル(Jubel)と言う会社を設立していた事である。

 2月末、チェ・スンシルの隠匿財産調査に出かけたアン議員らは、この会社の共同代表ユ・ジュノを聴取している。

 アン議員の現地調査に同行したアン・ウォング大邱(テグ)元地方国税庁長は、「ユ・ジュノがチョン・ユンフェ、チェ・スンシルと知り合ったのは1982年頃で、1992年12月江南(カンナム)の某ホテルで行われた結婚式に出席したとユ・ジュノ夫妻は証言している」と話した。

 次は、アン庁長の証言である。「ユ氏は、自分達以外に結婚式に出席した親戚約20人の大半はチェ一族だったと記憶している。部外者が出席する事は無いにも拘わらずプラカードがかっていて少しおかしいと思った。チョン一族は出席せず、我々(ユ氏夫婦)がチョン氏の実家の役割を果たした。これらは、チョン氏が大韓航空のスチュワード出身で無く、在米の事業家だとチェ・テミンに気付かれないよう演技を頼まれたと言う」

  アン庁長によると、この結婚式の後、ユ夫妻は新婚旅行先の束草(ソクチョ)に同行している。

 「束草(ソクチョ)には、チェ一族チャン・ソクチル氏の別荘があり、そこに泊まった事が分かっている」

  江南(カンナム)の結婚式に、チョン一族が出席しなかったとの証言は事実の可能性が高い。

 チョン・ユンフェの父親は、<週間京郷>のインタビューに、「(チョン・ユンフェは、チェ・スンシルと再婚後)娘のユ・ヨンイが生まれた後に訪ねて来た」と話している。(再度確認の為、3月8日父チョン・グァンボ氏に連絡したが、チョン氏は、「『プライバシー』に拘わる内容に答える事は適切で無い」と回答を拒否した)

 チェ一族の国政壟断、特に40数年間隠匿して来た財産関係の糾明は検察の仕事である。

 しかし、捜査再開は不確実である。

 アン・ウォング局長は、「約100人の人員が張り付き、2年近く捜査しなければ真相糾明は不可能」と話した。

 アン・ミンソク共に民主党議員は、「チェ一族に財産は、パク・チョンヒ政権がばら撒いた違法な統治資金の為、財産を追跡し、没収する事は、パク・チョンヒ時代の清算を意味する歴史的な事。その為、次の大統領は、『チェ・スンシル財産没収特別法』の制定意志を持つ必要がある」と話した。

『弾劾は腐敗根絶改革の出発点』
<もう1つの家族>を出版したチェ・テミンの義理の息子チョ・スンジェ氏の長男チョ・ヨンレ氏のインタビュー

-チェ・テミンの妻イ・ムソニは祖母でもある。
 チェ一族の恥部を本に書く事を決心するのは簡単じゃなかったのでは?

 「現在、香港で生活しています。韓国で起こっている事を注視していましたが、ある日の夕方、TVから父の声がして涙が出ました。生前沢山話しました。父も、自分のした事が正しいとは思えず後悔していました。事実が残ればいいと思いました。ある政治家が言う19金の物語の主人公で無く、この事例は古い不正腐敗です。その部分を記録し、韓国社会の透明性の向上に、一部分であっても貢献したい、そう思って本を書き始めました」

-チェ一族の隠匿財産の重要な鍵を握るのは、イ・ムソンと言う記事を書きました。特検調査も受けたと聞きました。イ・ムソン一族との関係は?安全企画部の家系図では、釜山(プサン)市沙上(ササン)区のイム・ゲクボムの長女となっていますが?

 「正確には分かりません。1男2女だと言う事は知っています。イム・サンドクと言う弟がいて、釜山(プサン)で肥料を売って儲けたと聞いています。イム・ソクプルと言う兄もいたと聞きました。ソクプルが、ソクプルが・・・そう呼んでいた事を覚えています」

-パク・クネとチェ・テミンの関係の謎に興味があります。本の証言によると、黒い喪服姿のパク・クネをイ・ムソンが商店街に連れて行って守ったとされていますが?

 「率直に複雑な心境です。私は唯一の男の内孫ですが、私ですら連れて行って貰えなかった商店街に、他人を連れて行ったと言う事が・・・」

-なぜ著書のタイトルを<もう1つの家族>に?本の後の年表を見ると、1974年~パク・チョンヒ一族とチェ一族、2つの家族の間の境界が無くなっていて印象的ですが?

 「父(チョ・スンジェ)が言ったように、最初から悲劇的な家族関係だった訳ではありません。子供の頃は(チェ一族)とのいい思い出もあります。不正腐敗の土壌に変えられたのです。母が帰宅しても気付かないような悲劇的な家族関係になったのは、金と権力への貪欲が原因でした。誰でも、そのような誘惑から自由ではありません。しかし、金と権力の結果が不正腐敗であるならば、個人の節制がどれほど必要か?、それを考えるキッカケの本になればいいと思います」

-パク大統領は弾劾されました。パク・クネとチェ一族の内密な関係を知る者として付け加える事はありますか?

 「弾劾で古い不正腐敗が根絶されるとは思いません。国民の望みは何か?を考える必要があります。弾劾は新たな問題の始まりで、透明性の回復方法を議論し始める必要があります。例えば、香港の『恬静公書』のような公職者腐敗捜査専門機構など、成功モデルを持ち込む事も1つの方法だと思います」


http://news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?artid=201703111603001&code=940100

気持ち悪い、気味が悪い関係が、親から子へ受け継がれている。
母から娘に受け継がれた金と権力への『貪欲』=釣り上げた龍を縛り付けておく方法=精神的・肉体的支配を続ける事。
その為に、夫を調教する。

ここまで書けば、後は分かるよね?
以前、詳しく書いから。
分からない人は、以前の記事を探してね?(笑)

キモイ!!超絶キモイ!!
鳥肌が立つ!!
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プロフィール

nanakotedy

Author:nanakotedy
イタリア ローマで生まれ、10歳までイタリア育ち
大学卒業後、帰国
母方の祖父母と同居中

度重なる歴史認識の違いと言う言葉に、改めて近代史を学び直しています

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