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【今更な感じ!!】

【パク・クネの欧州コリア財団、MB国家情報院が査察】
2016.12.17 13:44 京郷新聞

・『委員長様のお気遣いのおかげで良く過ごしている』
・対北朝鮮非線形を通じ、キム・ジョンイルに渡ったパク・クネの手紙独占入手

 「当時、パク・クネ野党代表が平壌(ピョンヤン)を訪れ、キム・ジョンイルと交わした対話の内容を良く知っている」。10月18日、パク・チウォン当時国民の党非常対策委員長の話である。チェ・スンシルゲートが発覚すると、与党は<ソン・ミンスン回顧録>カードを取り出し野党を攻撃した事への反撃である。チュ・ミエ共に民主党院内代表も、「SNSを見ると、国民はパク大統領がキム・ジョンイル委員長に会った接触経路は?4時間何を話したのか?、当時パク大統領が訪朝し、キム委員長に、並べ立てたが賞賛とは何か?を知りたい」としている。

パク・クネの2002年の訪朝、北朝鮮接との触・・・まだ殆ど知られていない

 それだけでは無い。パク・クネの北朝鮮政策は、どのように決定されたのか?自体がミステリーである。「特検で明らかにする必要がある。チョン・ホソンが、チェ・スンシルに渡した文書に、開城(ケソン)工業団地の問題が入っていたのでは無いか?非線形が開城(ケソン)工業団地の閉鎖に関与したと言う事である。最終的には、開城(ケソン)工業団地の閉鎖も、パク・クネの考えで無く、非線形のチェ・スンシル閉鎖を指示したのではないか?」。<週間京郷>との電話でのチョン・ドンヨン国民の党議員の話である。彼は、参加政府当時統一部長官を歴任した。

 3月<週間京郷>は、パク・クネの2002年の訪朝後、北朝鮮との接触を含む欧州コリア財団の内部文書を入手し報じた。(<週間京郷>1170号、『パク・クネ、欧州コリア財団理事の知らされなかった行跡』記事参照)

 本紙が入手した文書には、北朝鮮の『パク・クネ理事』への返信もあった。この手紙は、様々な面で現在まで知らされなかったパク・クネ当時欧州コリア財団理事の行跡を含んでいる。在中同胞のカン・ヒャンジンと言う人物を通じ、北朝鮮に手紙を送付し、手紙は1度限りで無く、何度も送付されている。

 これまで、週間京郷の記事以外では全く言及されないカン・ヒャンジンと言う女性は誰か?

『ミステリーだらけ』のパク・クネの対北政策

 2004年8月7日、YTNはこう報じる。「ハンナラ党のパク・クネ代表は、当分訪朝計画は無いが、連絡しようと思えば連絡出来ると発言し、キム・ジョンイル国防委員長と独自の対話ルートがある事を示唆した」。同日の日本経済新聞とのインタビューの発言である。記事によると、インタビューに同席したチョン・ヨオク スポークスマンは、「パク代表の発言は、ホットライン形態の電話や連絡船では無いが、いつでも意思を伝える事が出来る独自のチャネルを持っていると言う意味と解釈する」と説明する。

 この『独自ルート』とは、手紙をやり取りした欧州コリア財団の事か?

 ところで、<週間京郷>の確認取材の結果、パク大統領には別のラインがあったと見られる。

 「委員長様に差し上げます。すでに熱い真昼の熱気が蒸し暑さを感じさせる季節が戻って来ました。暑さの中、委員長様は元気にお過ごしですか?委員長様を尋ねてから3年の歳月が流れました。これまで、私には多数の変化が起きましたが、委員長様のお気遣いのおかげで良く過ごしています。 (以下略)」

 <週間京郷>が独占入手したパク・クネ欧州コリア財団理事の手紙である。手紙にある委員長とは、当時の北朝鮮のキム・ジョンイル国防委員長の事である。

 10月初め、<週間京郷>は、欧州コリア財団の活動状況、文書課の写真・動画などを含むハードディスクを入手した。ハードディスクは約102GB、数千のファイルが保存されている。上記の手紙は、このハードディスクに残っている。ハードディスクには、この手紙の未完成な草案も保存されている。

 「キム・ジョンイル国防委員長様に差し上げます。蒸し暑い天気が続いています。これまで、お忙しい日程の中でもお元気でしたか?2002年(主体91年)、委員長様にお目にかかり、お言葉を交わしてから、すでに2年の歳月が流れました。短い時間でしたが、私には多数の変化があり、北でも多数の変化があった事と思います。(以下略)」

 この手紙の発送は2005年7月13日である。パク・クネ理事は、当時ハンナラ党の代表だった。

チェ・スンシルのロッキードマーティン疑惑と欧州コリア財団

 この手紙は<週間京郷>が3月に入手した文書の前に保存されていたものである。3月に入手した文書は、前後の文脈を見ると、この手紙に参考資料と添付されていたものである。これ以前に、キム・ジョンイル国防委員長に送った手紙を見ると、次のような文面がある。

 「・・・これまで欧州コリア財団を通じ実践された多数の事業を整理し、文書を作りました。委員長様が調査し、不足している部分、追加で必要な事があればおっしゃって下さい。」

 手紙の内容は、欧州コリア財団と北の共同事業の羅列で、2002年パク・クネとキム・ジョンイルの平壌(ピョンヤン)会合で約束された『普天堡電子楽団の南公演』、欧州コリア財団の『平壌(ピョンヤン)経済人養成所』が設立されず、早急な実現の為、『委員長様の指示』を仰ぐと言う要請を含んでいる。この手紙に対するキム・ジョンイル委員長の返事は、入手した資料だけでは分からない。

 <週間京郷>は、ハードディスクの実際の所有主と推定される欧州コリア財団の核心関係者を訪ね説得した。1ヶ月以上の説得の末、彼は口を開いた。

 「手紙は財団の理事長だったジャック・グロハが持ち出し、中国で北の関係者に会って渡したと理解している。私が知る限り、手紙の内容は統一部に報告されなかった。」

 ジャック・グロハ元欧州コリア財団理事長はフランス国籍の企業家で、パク・クネの2002年の訪朝に同行した要人である。韓国国籍で無い為、当局に北朝鮮の住民と接触時、申告する必要がある南北交流協力法相の申告対象では無い。実際、統一部のスポークスマンは<週間京郷>に、「2002年の訪朝当時、申告されている人は、韓国国籍を持つパク・クネ当時欧州コリア財団理事、チェ・ドンフン共同理事長、そしてシン・ヒソク教授の3人だけ」と明かした。

 欧州コリア財団に理事で参加した経緯についてパク・クネ大統領は、2007年に出版した自叙伝<絶望は私を鍛え、希望は私を動かす>で、「北朝鮮の子供にサッカーボールを20万個送ると言う趣旨が良く、理事職の引き受けを受諾したとしている。

 欧州コリアの登記簿謄本を見ると、法人の成立日は2001年5月16日、パク・クネ理事は2002年4月25日理事に就任し、大統領選挙を控えた2012年10月10日退任となっている。

 <週間京郷>が入手したハードディスクの中には、財団の対北接触と活動以外にも、今まで知らされていない興味深い資料が保存されている。

 国家情報院が、財団と財団の母胎 駐韓欧州連合商工会議所(EUCCK)を査察したと言う文書、証拠資料、音声データである。

 未完成の声明、日誌、音声データによると、2012年2月17日、国税庁南大門(ナムデムン)税務署の調査官が、欧州コリア財団がある駐韓欧州連合商工会議所(ソウル中(チュン)区乙支路(ウルチロ)4街)に予告無く訪れ、会計資料を押収し3ヶ月間税務調査を行っている。しかし、この税務調査は通常の税務調査で無く、国家情報院が背後で動いた強力な税務調査だったとされる。

 実際、記者会見、又は声明として作成されたものと見られる『大韓民国政府の駐韓欧州連合商工会議所(EUCCK)の税務調査に対する我々の立場』と言う未完成の文書を見ると、「政治的目的に伴う駐韓欧州連合商工会議所を標的とした税務調査をすぐに中断せよ」と言う要求と同時に、「欧州の企業家をゴキブリと表現するなど、礼を失した国税庁の行動を謝罪せよ」と言う要求も含まれている。

 これらが作成した『南大門(ナムデムン)税務署の駐韓EU商議税務調査関連進行事項』と言う別の文書を見ると、国家情報院の圧力は、ジャン・リュック・バレーリオEADS韓国支社長が就任(2011年9月26日)した事で始まったと整理されている。同年10月国防部は、EU商議会長に立ち入り禁止を命じ、2ヶ月が過ぎた12月に解除されている。

 再び、国土海洋部、EU商議の不動産委員会投資相談団行事がキャンセルされ、当時国土部の公務員は、「国家情報院の圧力で出来なかったと伝言」と文書に記されている。同年11月22日に行われた『第6回韓国・EU産業協力の日』行事への出席が決定していたキム・ファンシク国務総理が3日前にキャンセルし、これも国家情報院の報告・建議の為と書かれている。

 この他にも、EU商議が主催していた脱北画家作品展も、『北朝鮮の人権、反共がタイトルの展示会だったが、親北画家が悪意的に見ている」としている。更に、教科部のMOUのキャンセル、国内の日刊紙・月刊誌に、国家情報院がEUCCKの所長と副所長を陰湿に攻撃する記事を要請したが失敗したなどの状況が含まれている。

 情報機関の欧州コリア財団の査察状況は、<週間京郷>の取材でも一部分かった事がある。パク・クネ政権スタート初期の2013年、ジャック・グロハの社宅がある江華島(カンファド)を訪れた記者は、複数の近所の住民から、「昨年(2012年)の夏、情報機関員が1週間ほど常駐し、ジャック・グロハの家に出入りする人達の写真を撮り、動向を監視していた」と言う証言を入手し報じている。

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 現時点で、以前の<週間京郷>の記事を見ると、疑惑を解く核心的な『情報』がもう1つある。非線形のチェ・スンシルである。

 娘チョン・ユラ氏に関連する疑惑からスタートしたチェ・スンシルゲートの中で、未だ疑惑提起段階に留まる主張がある。

 国防不正、具体的には次世代戦闘機事業(FX)で、ロッキードマーティン社のF-35Aに変更される過程で、現在麻薬使用容疑で収監されているリンダ・キムとチェ・スンシル、チョン・ユンフェ夫妻が主な『ロールプレーヤー』だったのでは無いか?と言う疑惑である。

 今回入手した文書で、国家情報院の組織的な『圧力』がバレーリオEADS韓国支社長のEU商議会長就任と同時に始まったと言う記録は興味深い。バレーリオ支社長の会社は、当時FX事業でライバル機種だったユーロファイターを製造・輸入する企業だからである。チェ・スンシルゲート以前の次世代戦闘機事業に関連する疑惑は、EADSのユーロファイタータイフーン、ボーイング社のF-15SEの2社が争う中、パク・クネ政権になって突然ロッキードマーティンのF-35Aに機種変更された事と関連する疑惑である。

 元欧州コリア財団の核心関係者は、こう話す。「我々から見るとバレーリオが裏切った。税務調査の後、バレーリオは海外送金を口実に財団の理事長を検察に告発した。そして、私は次に別の欧州商工会議所組織(ECCK)を作り、我々が作った組織を奪っていった。」

税務調査、MB政権の対パク・クネカード?

 1国に駐在する商工会議所組織を、税務調査などの手段で強制解散させる事は、世界でも類を見ないスキャンダルである。

 しかし、当時の報道をチェックすると、複数の経済紙が報じただけで、そのプロセスは比較的静かに、迅速に行われた。元財団前関係者のは言う。「多数のメディアが統制されていたからである。我々と様々な所の繋がりを見ていない。税務調査の後、大統領府に嘆願した。だから翌日、国税庁関係者によると、「そんな事をしても、何の効果も無い」と言う答が帰って来た。当時、大統領府民生ラインの高位関係者の答も同じだった。」

 2012年の税務調査当時まで理事職を維持していた有力な大統領候補『パク・クネ候補』は、なぜこの問題に触れなかったのか?
 「当時、チ・ドンフン理事長が、パク・クネ候補に会い助けを求めた事を知っている。しかし、結果的には、どんな助けも得られなかった。」

 それなら、なぜ再び税務調査したのか?前出関係者は断言する。

 「カードである。政権が変わるのに備え、我々をパク・クネ候補の弱い輪と考えたMB政権の。」

 そうだろうか?確実なのは、記者が確認した江華島(カンファド)のジャック・グロハの自宅の内密調査と同時に、財団が一部公金を流用したとして罰金を課した事以外、MB政権が入手した資料や調査経緯は、未だ明らかになっていない点である。

 残る問題がある。以前、パク・クネ理事がキム・ジョンイル委員長に送った手紙は、交流協力法の適用対象で無い非国籍者を通じて行われたものと当局に報告された事は無い。(当時、統一部長官だったチョン・ドンヨン議員は、「長官在職時、手紙を見た記憶は無い」としている。)

 3月統一部のスポークスマンは、「当時、欧州コリア財団が包括的に南北接触承認を受けた為、問題にする必要は無く、どんな内容の手紙がやり取りされたのか?報告されていない」と話している。

 最長14年、最近では2012年の大統領選挙を控えて行われた事について、核心関係者が今口を開く理由は何か?この関係者は、このような所感を残した。

 「そのまま置けば埋められてしまう。こんな事があったと歴史に記録が残ればと思って取材に応じた。」

 結局、大韓民国の憲政史の中で、失敗した政権として記録されるパク・クネ大統領が、どのように権力のTOPの座にのぼりつめたのか?その過程は、徹底して再現する必要がある。MBが権力機関を動員して入手した『カード』とは何かも分からない。チェ・スンシルのタブレットPCに保存された『MBと当選者の単独面談』のシナリオ文書によると、チェ・スンシルは、当時の軍と北朝鮮の国防委員会の3度の極秘接触を事前に知っていた。これも、今後糾明すべきパク・クネ-チェ・スンシル国政壟断の核心内容である。

 以下は、パク・クネ欧州コリア財団理事が、北朝鮮のキム・ジョンイル国防委員長に送った手紙の全文である。

委員長様へ

 すでに熱い真昼の熱気が蒸し暑さを感じさせる季節が戻って参りました。

 暑さの中、委員長様は元気でお過ごしでしょうか?

 委員長様を尋ねてから3年の歳月が流れました。これまで私には多数の変化がありましたが、委員長様のお気遣いのおかげで元気に過ごしております。

 委員長様が約束された事は、欧州コリア財団を通じ、着実に実践して参ります。

 韓民族が1つになると言う事、濃い同胞愛を感じさせた『2002年の南北統一サッカー競技』を始め、北の若者が欧州の大学で勉強出来るよう支援する『北奨学生プログラム』など、様々な計画が1つずつ実践されています。

 しかし、『普天堡電子楽団の南公演』、平壌(ピョンヤン)に建設を推進した『経済人養成所』が実現せず、残念でなりません。

 私の意見では、このような部分を協議する為、欧州コリア財団平壌(ピョンヤン)事務所の設置が切実で、財団関係者の平壌(ピョンヤン)訪問が自由になる事を希望しております。

 これまで、欧州コリア財団を通じ、実践された多数の事業を整理し、文書を作成致しました。委員長様が調査し、不足する部分、追加で必要な事があればおっしゃって下さい。

 合わせて、財団と北の関係機関が協力し、事業を推進出来るよう、関連機関に委員長様の指示をお願い致します。

 南北が1つになって平和と繁栄を成し遂げられるよう、私と欧州コリア財団は、様々な活動を推進しています。

 このような事業が実を結ぶ日が、すぐに訪れると確信します。

 全ての困難を克服し、着実に事業を推進し、委員長様と約束した事が、近日中に行われる事を希望致します。

 また、委員長様の健康を祈願し、再会出来る事を願って。

2005年7月13日


http://news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?artid=201612171340001&code=940100&nv=stand&utm_source=naver&utm_medium=newsstand&utm_campaign=top2

白々しくて、今更な感じしかしない。

前にも書いたと思うけど、チェ・テミンも、チェ・スンシルも、チョン・ユンフェも従北。
パク・クネの訪朝をお膳立てしたのもチョン・ユンフェ。

まるで今発見したような書き方だけど、韓国メディアは、全て知ってて黙ってた。
隠蔽に手を貸し続けた共犯者以外の何ものでもない。
韓国メディアに批判する資格は無い!!
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プロフィール

nanakotedy

Author:nanakotedy
イタリア ローマで生まれ、10歳までイタリア育ち
大学卒業後、帰国
母方の祖父母と同居中

度重なる歴史認識の違いと言う言葉に、改めて近代史を学び直しています

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