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【パク一族の深い闇】

【『パク・クンリョンの夫シン・ドンウク『銃器殺人』計画】
2016.12.16 04:00 CBSノーカットニュース

育英財団暴力事件の核心人物証言・・・『シン・ドンウクは票の邪魔になる』

 パク・クネ大統領の妹パク・クンリョン氏の夫シン・ドンウク氏をミャンマーで銃で殺害する計画があったと言う証言と録音テープが公開された。

 主人公は、育英財団暴力事件に関与したB氏である。

 B氏は15日、CBSノーカットニュースの電話に、「(シン氏に対し)胸の奥深くに積み重ねた心の借りがある。真実を明らかにすべき時」と話した。

 B氏は2012年、シン氏が名誉毀損容疑で裁判になった当時、シン氏の無罪を立証する核心証人として出廷予定だったが、何者かの懐柔で出廷出来ず、申し訳ない思いと自責の念があると話した。

 シン氏は、「パク・チマンEG会長とパク・クネ当時ハンナラ党議員が、自身の殺害計画に関与した」と言う内容の文章をネットに投稿した容疑で提訴され懲役1年6ヶ月を宣告され服役した。

『本当は、ミャンマーで銃で君を・・・』

 CBSノーカットニュースが入手した録音テープによると、B氏はシン氏をミャンマーで銃で殺害する計画に関与した。

 Bさんは、「本当はミャンマーへ行き、銃で君を殺そうとした」とシン氏に告白した。

 シン氏が殺害理由を尋ねるとB氏は、2007年当時のパク・クネ ハンナラ党議員とパク・チマンEG会長の名前に言及し、「当時、パク・クネ議員とイ・ミョンバク前ソウル市長の選挙戦の時で、シン・ドンウクは票の邪魔になる」と判断したパク・チマンEG会長と側近がシン・ドンウクを消す必要があると判断した」と説明した。

 様々な事で非難されたシン氏がパク・クネ議員の義弟だと言う事が選挙戦と大統領選挙に悪材料として作用する可能性が高い為、事前に消す必要があるとの結論に達し、殺害を謀議したと言う事である。

 録音は2008年7月11日に行われた。CBSノーカットニュースは、電話での発言の真偽についてB氏に最近再び確認した所、「間違い無く事実」だと認めた。

2度『シン・ドンウク殺害プロジェクト』・・・内幕は?

 シン氏は2度死を免れる。

 録音テープとCBSノーカットニュースの取材を総合すれば、2007年7月シン氏はパク・クネ大統領の5親等の甥パク・ヨンチョル氏に同行し、中国の青島を訪れる。

 パク氏は未成年のホステスがいるバーで、シン氏と一緒に麻薬を服用後、SEXするよう誘導した。

 シン氏がホテルの部屋に入ると、すぐにパク氏は公安を呼んだ。パク氏は事前にシン氏のパスポートを奪っていた。

 シン氏は公安の調査に、『私はパク・チョンヒ元大統領の娘婿だ』と主張し、ようやく解放され帰国出来た。

 しかし、5ヶ月後、シン氏はパク・チマン会長に会う為に清潭洞(チョンダムドン)を訪れ、パク・ヨンチョル氏とハンビット福祉協会会員のハンセン患者、組織暴力団『チョンハウィセン派』に拉致される。

 拉致を指揮したのはB氏。当初のシン氏の殺害計画とは異なり、自身がいた育英財団に呼び、行動に気を付けるよう忠告後解放した。

 録音テープでシン氏は、「財団の陣頭指揮をとっているのは私だ!!他の場所で無く、連れて来られたのが育英財団だからそう(解放)される。他の場所であれば死んでいたんだな」と話している。

裁判記録と録音で見る『育英財団暴力事件』の背後

 2012年のソウル中央地方法院(刑事11単独)の判決文を見ると、育英財団暴力事件の至る所にパク・チマンEG会長の影を見付ける事が出来る。

 裁判所は、「育英財団暴力強奪事件に関連し、チョン某氏に懲役8ヶ月・執行猶予2年を宣告したが、チョン氏はパク・チマンに忠実に従って来た人物」と判示している。

 更に、「チョン氏は、パク・ヨンチョル、オ某氏、チョ某氏らと該当事件を謀議した当時、『会長様の意思』、『会長様の指示』と言う趣旨で殺害を指示し、チョン氏は有罪判決を受けたにも関わらず(株)EGの企画室長兼秘書室長に復帰している点」などを認めた。

 録音テープでシン氏は、「パク・ヨンチョルがチョン氏から3,400万ウォン受取った」とし、金の出処について、「清潭洞(チョンダムドン)(パク・チマン)」と話している。

 育英財団暴力事件、シン氏の中国拉致事件、清潭洞(チョンダムドン)拉致事件で核心的役割を果たしたパク・ヨンチョル氏は、2011年殺害された。

 パク氏は裁判で、様々な暴力・拉致事件へのパク・チマン氏の関連性を否定した。

 しかし、後に、「シン・ドンウクを中国で殺せとパク・チマン会長が指示した内容を録音したテープがある」、「パク・チマン会長が殺人請負費用を送金した資料を持っている」と主張し、法定で証言する事を決めた後、殺害された。
https://www.nocutnews.co.kr/news/4702645

パク一族の闇は深い。
流れを時系列に整理してみた。

2007年7月、パク・クンリョンの婚約者シン・ドンウクが、パク・クネの5親等の甥パク・ヨンチョル氏と中国青島に出かけた。到着した日の夜、シン氏は下着姿でホテルから飛び降りる。
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2007年11月、育英財団暴力強奪事件発生
パク・クネの妹パク・クンリョンが理事就任承認取消処分となり、城東(ソンドン)教育庁と法定闘争中に発生する。育英財団で行われたユク・ヨンス氏の誕生82周年記念行事でパク・クネの5親等の甥のパク・ヨンチョル(後に殺害)とパク・チマン会長の秘書室の長チョン某が、ハンビット福祉協会会員のハンセン患者約100人(育英財団の支援を受けていた)を動員し暴力事件を起こす。
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2010年9月1日、育英財団前法務室部長のイ氏が、「朴志晩(パク・チマン)が朴龍喆(パク・ヨンチョル)にシン・ドンウクを殺すよう指示する録音テープと通帳に送金した証拠がある」と朴龍喆(パク・ヨンチョル)から聞いたと証言。

朴龍喆(パク・ヨンチョル)も、「朴志晩(パク・チマン)EGグループ会長の秘書のチョン・ヨンヒ室長が私に、朴志晩(パク・ジマン)会長の意思だと話す会話を携帯電話で録音した」と証言。
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2010年9月27日以降、シン・ドンウクの弁護人は採択されず、引続き朴龍喆(パク・ヨンチョル)を証人申請。
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2011年9月1日、朴龍喆(パク・ヨンチョル)は裁判に出席。
5日後の9月6日北漢山 (プッカンサン国立公園事務所授乳所の前で変死体で発見される。

<5親等の甥殺人事件>
【パク一族の謎・・・朴5親等の甥殺人事件】
【パク一族の謎・・・5親等甥殺人事件 PART.2】

【『それが知りたい』大統領の甥殺人事件の背後説『疑惑を取材』】
2016.12.17 06:00 THE FACT

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『それが知りたい』パク・クネ大統領の甥殺人事件疑惑取材

 SBS『それが知りたい』は、パク・クネ大統領の5親等の甥殺人事件の真実を追跡する。

 17日午後11時5分放送の『それが知りたい』では、2011年9月6日に発生した大統領の甥パク・ヨンチョル氏殺人事件を暴く。

 事件の概要はこうだ。北漢山(プッカンサン)の駐車場で1人の男性の残虐な遺体が発見される。自身の車両の傍でうつ伏せに倒れて見付かった男性の身元は、カナダ国籍のパク・ヨンチョル氏。当時ハンナラ党の大統領候補パク・クネ代表の5親等の甥である事が分かった。通報を受けて出動した警察は、前日酒の席に同席したパク氏の従兄パク・ヨンス容疑者の追跡を始める。その4時間後、容疑者が事件現場から約3km離れた北漢山(プッカンサン)の中腹で首を吊り、遺体で発見される。

 警察は現場付近まで案内した記者、前日酒の席に同席した知人を調査し、この事件は普段から金銭問題などで葛藤があった従兄2人の間に発生した殺人事件で、従兄のパク・ヨンス容疑者がパク・ヨンチョル氏を計画的に殺害後、自殺したと結論付けられ捜査は終結した。

 しかし、事件当初から犯行を巡る不審な点にについての報道が続いた。2人の体内から検出された睡眠薬ゾルピデムとジアゼパム、指紋が残っていない凶器、消えた被害者の携帯電話、容疑者が自殺する直前飲んだと推定される下痢止めの謎など、様々な疑惑が提起された。それらの事実を報じた時事INのチュ・ジンウ記者、タンジ日報のキム・オジュン総帥は、虚偽事実報道による名誉毀損容疑で提訴された。

 2014年9月、『それが知りたい』に、殺害されたパク・ヨンチョル氏の最側近を名乗る男J氏から電話があった。PDを含む数人のジャーナリスト、現職国会議員、そして弁護士で構成された取材チームは、情報提供者Jにドバイで会った。3泊4日の間続いたインタビューは、にわかには信じがたい話ばかりだった。彼の話の信頼性はともかく、情報提供者のJは、この事件を理解する為の新たな視点を投げかけた。

 「それが知りたい」のスタッフは、事件の記録を全て入手し、事件を最初から見直す事にした。事件後、メディアとの接触を避け、5年ぶりにカメラの前に座ったバク・ヨンチョル氏の家族は、これまで沈黙している理由から話し始めた。当時、夫、そして父親が置かれていた状況が、この事件を適切に理解する為の鍵だと付け加えた。

 バクヨンチョル氏は当時、育英財団の所有権を巡り、朴志晩(パク・チマン)会長(朴槿恵大統領の弟)とシン・ドンウク総裁(朴槿恵大統領の義弟)の裁判の決定的な証人だった。更に、彼が殺害された時期は、両者の裁判の結果を左右する決定的な証拠を持っていると証言した直後だった。バク・ヨンチョル氏は再開された2審に証拠を提出すると言う言葉を残し、出席を控えて殺された。彼が死んだ理由はココからスタートすると言うのが彼の主張の要旨だった。

 製作陣が会ったバクヨンチョル氏とパク・ヨンス氏の2人の知人は、バク・ヨンチョル氏を死に追い込んだ人物が自ら命を絶ったパク・ヨンス氏のはずが無いと言う疑問を付け加えた。2人の間に金銭的な関係は無く、親戚の中で最も良好な関係だったと言うのである。更に、取材を通じて確認した結果、警察の調査に参考人資格で犯行動機に関連する陳述をしていたファン氏も、事件の1年後、やはり不可思議な方法で死亡した。

 事件記録を検討した法医学者と犯罪心理学者は、最も理解し難い事はパク・ヨンスの自殺だと口を揃えた。元柔道選手で巨体のパク・ヨンチョル氏を、3つの凶器で殺害した方法、運転席のハンドルに残された血痕、そして理解し難い自殺の方法まで、2人以外の『第三者』の存在が疑われる場所を慎重に探した。

 スタッフは何より事件の核心に、パク・ヨンチョル氏が殺される前に言及した録音テープの行方をあげた。これは、多数の人が考える死の理由でもあった。放送を控え、録音テープの行方を知っていると言う情報提供者からの連絡の内容も公開される予定である。
http://news.tf.co.kr/read/entertain/1668887.htm?from=naver

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プロフィール

nanakotedy

Author:nanakotedy
イタリア ローマで生まれ、10歳までイタリア育ち
大学卒業後、帰国
母方の祖父母と同居中

度重なる歴史認識の違いと言う言葉に、改めて近代史を学び直しています

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