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【アホか?】

【日本の圧力で、ヨーロッパ初の『平和の少女像』設置霧散】
2016.09.21 15:22 聯合ニュース

ドイツ フライブルク市『日本の反対で設置困難』水原市(スウォンシ)に書簡
水原市(スウォンシ)『過去上書き出来ず』・・・松山市に抗議書簡送ると

 京畿(キョンギ)水原(スウォン)市と水原(スウォン)市民が、国際姉妹都市のドイツ フライブルク市に建設を推進して来たヨーロッパ初の慰安婦『平和の少女像』が、日本の激しい反対で立てられなくなった。

 水原(スウォン)市は21日午後、緊急報道資料を通じ、「本日午前、ドイツ フライブルク市から、平和の少女像の設置に反対する日本の反対で、設置は困難と、公式書簡を受取った」と発表した。

 これに対し、ヨム・テヨン水原(スウォン)市長は、「市は、建設推進委など、地域社会と緊密な議論を経てフライブルク市に残念・意思を含む、公式立場を伝える計画」と発表した。

 ヨム市長は、「日本軍慰安婦被害者の人権、名誉回復、平和を祈願する市民の努力を、日本は謝罪は愚か過去を否定し、歪曲、隠蔽に汲々としている。掌で雨を防ぐ事が出来ないように、過去を永遠に覆う事は出来ない」と日本政府を批判した。

 水原(スウォン)市は、フライブルク市と姉妹提携する愛媛県松山市に抗議書簡を送る事にした。

 フライブルク市は、平和の少女像建設推進のニュースが知られてから5日後以降、27年間姉妹提携する松山市、日本政府、日本の右翼の組織的な妨害と圧力を受けて来た事が分かった。

 『水原市の国際姉妹都市ドイツフライブルク平和の少女像建設推進委員会』の共同執行委員長イ・ジュヒョン水原平和の像共同代表は同日正午、ソウル中学洞(チュンハクトン)の旧日本大使館前で、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)主催で行われた1,249回定期水曜集会に出席し、このような事実を知らせた。

この委員長は、フライブルク市このように決めたのは、日本政府と日本の右翼の組織的な妨害と圧迫があったからだと主張した。

 ベルリンの日本大使、フランクフルトの日本総領事がフライブルク市を訪れ、平和の少女像の建設推進に強く抗議したと言う。

 特に、フライブルク市と27年間姉妹提携して来た松山市が、少女像を設置すれば断交するとの意思をフライブルク市に通知した事が影響したと委員長は伝え、水原市も、これらの内容は事実と発表した。

 水原市は19日、フライブルク市長が、ヨム市長に電話で、「少女像建設報道が出た後、日本人と日本政府から設立を中止するよう、激しい圧力を受けた。私が市長職を務める全ての期間以上に、困難な時を過ごしている」と話したと伝えた。

 フライブルク市の突然の少女像建設不可通知に、水原市は戸惑いを隠せなかった。

 日本の妨害を予想しなかった訳で無く、フライブルク市長とフライブルク市の少女像建設への意志が大きかったはずで、建設の可能性に大きく期待して来たからである。

 5月ヨム市場がフライブルク市長に、平和の少女像の建設を提案し、アメリカの平和の少女像建立時、日本政府、極右団体の妨害と圧力が激しかった例を紹介した際、フライブルク市長は、「当市は、日本政府、姉妹都市(松山市)の反発や圧力を恐れていない」と答えていた。

 特に、フライブルク市長は、フライブルク市の中心部で、人が頻繁に往来する中庭を少女像の設置場所に勧めるなど、少女像の設立に積極的だった。

 水原市(スウォンシ)関係者は、「日本の右翼団体や現地の日本人が、電話やメールで平和の少女像建設反対運動を繰り広げたと理解している。フライブルク市に少女像が建設されれば、ヨーロッパ初で、ヨーロッパの別の地域でも少女像の建設を防ぐ名分がなくなる為、執拗な反対活動を繰り広げたと見られる」と話した。

 プライブルクの少女上建設は、地方都市間の合意で始まったもので、5月ヨム市長の建設提案をチフライブルク市長が受け入れ始動した。

 ヨム市長が、この事実を5日公式発表し、まもなく水原(スウォン)市内75の機関・団体が集まり、『水原(スウォン)市国際姉妹都市ドイツ プライブルク平和の少女像建設推進委員会』を構成、募金活動を繰り広げた。
http://www.yonhapnews.co.kr/society/2016/09/21/0701000000AKR20160921120000061.HTML?template=5566

ウリに反対するのは右翼ニダ!!
相手の言い分を知らないと議論にならないから一応翻訳してみた。(笑)
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プロフィール

nanakotedy

Author:nanakotedy
イタリア ローマで生まれ、10歳までイタリア育ち
大学卒業後、帰国
母方の祖父母と同居中

度重なる歴史認識の違いと言う言葉に、改めて近代史を学び直しています

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