かつての日本は美しかった

日本人の為の日本、かつての美しかった日本を取り戻さなければなりません。

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【アン・ジュングンの銅像を撤去せよ!!】

【安重根(アン・ジュングン)の銅像を撤去すべき5つの理由】
2016.01.02 14:33

歴史を忘れた民族は日本国で無く、大韓民国と中華人民共和国である。
1905年12月、朝鮮総督府の設置後、野蛮な社会だった朝鮮は、文明開化の近代社会に、偉大な1歩を踏み出した。朝鮮総督府は、驚く事を遂行した。韓国人は、約70余年間、誤った洗脳教育で日本を嫌っている。大韓民国の歴史教科書は、自画自賛のナルシズムで事実を歪曲している。

朝鮮は、中国の植民地だった。朝鮮の高宗(コジョン)は、中国皇帝に恐怖心を感じていた。朝鮮、この余りに醜い国の実体を、韓国人は正面から直視する必要がある。

朝鮮総督府、文明開化の執行者

朝鮮後期、性理学原理主義と言う亡霊が社会を支配し、朝鮮固有の風習が破壊され、中国の悪習が社会に急速に広がった。高句麗の入り婿制、結婚した夫が妻の実家で生活する風習は消え、逆に妻が夫の実家で生活する中国式の風習が、18世紀後半以降蔓延する事になる。この伝統は、現在も続いている。

高麗時代と朝鮮初期、男女差別は、それほど大きくなかった。女性の性を抑圧する風潮も無かった。崔南善(チェ・ナムソン)が指摘している様に、朝鮮末期の性理学原理主義は、民族の歴史に大きな影響と汚名を残した。更に、韓国人は、日本の35年間の統治に謝意を表していない。台湾人は、日本の統治に謝意を示している。日帝時代末期、朝鮮人は出世と栄達の為、朝鮮総督府に誰より忠誠を誓い、朝鮮総督府は、朝鮮人幹部が多かった。朝鮮総督府の某日本人幹部は、日本の敗戦直後、冷たく背を向けた朝鮮人に大きな衝撃を受けた事を、この様に打ち明けている。「(日本人と韓国人は)種が違うのか・・・」

恩を仇で返す韓国人

大韓民国の歴史教科書は、全面修正する必要がある。日本の35年の統治時代は、朝鮮2,000年の歴史の黄金期だった。残忍な高宗(コジョン)と朝鮮王室の為政者に、野蛮に収奪されている朝鮮の民衆を、封建の圧制から解放した主体は誰か?日本軍は、侵略軍で無く、解放軍として朝鮮半島に入って来た。

ある歴史学者は、申采浩(シン・チェホ)について、こう話す。4文字で言えば『精神病者』、3文字なら『大馬鹿』・・・正確な指摘に違いない。

申采浩(シン・チェホ)とは、どんな人物なのか?封建の迷妄に捕われた保守反動勢力と言うだけの事である。申采浩(シン・チェホ)、金九(キム・グ)李承晩(イ・スンマン)の本質とは何か?高宗(コジョン)と言う保守反動勢力に協力した者達である。

李承晩(イ・スンマン)は、偉大なナルシズムの所有者だった。彼は自身が大韓民国を越え、アジアのリーダーになると錯覚した。金玉均(キム・オクキュン)を暗殺した洪鐘宇(ホン・ジョンウ)は、李承晩(イ・スンマン)の後見人で、李承晩(イ・スンマン)は高宗(コジョン)の密使としてアメリカに渡った。李承晩(イ・スンマン)は、なぜ国名を大韓民国にしたのか?大韓帝国を真似た名前だ。すなわち、大韓民国と言う国は、反日民族主義を旗印に誕生した国で、建国の主役は20世紀初めの反日守旧勢力が李承晩(イ・スンマン)や金九(キム・グ)らだった。

歴史を忘れた民族、恩を仇で返す民族-それは、大韓民国と中華人民共和国である。
1840年のアヘン戦争は、歴史の進歩だった。同じ様に、1910年の韓日併合も歴史の進歩だった。大韓民国と中華人民共和国が歴史を歪曲している。21世紀、東北アジアの歴史戦争の幕は上がった。大韓民国は、中国と日本、どちらの側に立つのか?

伊藤博文、朝鮮を求めた世界的革命家『こんな事は、野蛮人でもしない』1894年の春、ソウル鍾路(チョンノ)で、1人の若者が絶叫していた。革命家の金玉均(キム・オクキュン)が、高宗(コジョン)が送った刺客に暗殺され、彼の遺体が仁川(インチョン)港に流れ着き、鷺梁津(ノリャンジン)の白砂浜で、遺体は輪切りされた。天安(チョナン)監獄に収監されていた金玉均(キム・オクキュン)の実父キム・ビョンテは処刑された。残忍な高宗(コジョン)は、金玉均(キム・オクキュン)の切り刻んだ遺体をソウル鍾路(チョンノ)に晒した。

その若者の名前は朴重陽(パク・チュンヤン)と言う。京畿道(キョンギド)楊州(ヤンジュ)の郷吏の家系に生まれた無識の青年は悲しそうに泣きながら絶叫した。
「高宗(コジョン)と朝鮮と言う国を到底許す事は出来無い」

首都漢城(ハンソン)の西洋の大使は、「どうすれば、こんな野蛮な事が出来るのか!!」と、高宗(コジョン)を叱り飛ばした。朴重陽(パク・チュンヤン)は1897年、官費奨学生として日本に留学する。そして伊藤博文に会い懇請する。
「朝鮮には希望がありません。アメリカ留学にでもしたいので助けて下さい」

彼の懇請に、伊藤博文はこうに答える。
「あなたのように気迫のある朝鮮の青年は初めてです」

信念の親日革命家、海岳 朴重陽(パク・チュンヤン)は、解放された空間で活動する偽善者に毒舌を浴びせ、自身の親日への所信を曲げなかった。35才年下の日本人の夫人が監獄を訪ねると、布団を差し入れして欲しいと泣きながら訴えた。彼の堂々とした行動に反民特別委裁判官は停滞した。「旧韓末の暗黒時代は日帝時代に入り近代朝鮮に発展した。伊藤博文は、私利私欲の無い政治家だった。伊藤博文は朝鮮を求めた世界的革命家で、私は彼と共に朝鮮の改革の先頭に立ったと言う自負心と信念がある。

あなた方は上海で、どんな独立運動をしたのか?ぺちゃくちゃ戯言を抜かしてないで3.1独立運動記念の偽善的な行動を止めろ!!
土地調査事業を見よ・・・1,900余万の土地は、187万人の所有者のものとして登記を終えた。朝鮮農民を封建の圧制から解放した主体は誰か.?日本が朝鮮を救ったんだ」と、一声吐いた。

信念の親日革命家 海岳 朴重陽(パク・チュンヤン)を見よ!!

朴重陽(パク・チュンヤン)は、伊藤博文を師と仰ぐ代表的な親日派である。彼は1905年の日露戦争当時、通訳として日本軍と共に戦った。1906年代、大邱(テグ)郡守に任命された朴重陽(パク・チュンヤン)は、現在の大邱(テグ)の道路を建設した設計者でもある。大邱(テグ)城壁を崩し、道路を作り、近代式病院や医学学校を大邱(テグ)に設立した改革行政家だった。彼は『保守買辧勢力の高宗(コジョン)と朝鮮王室の為政者を、日本の力で打倒しなければ、断じて朝鮮の改革は無い。私はその先頭に立つと言う所信を有していた。

朴重陽(パク・チュンヤン)の人となりは、率直で、鋭敏ながらも豪放な性格の持主で、酒豪でもあった。
1919年、3.1万歳運動当時、彼は朝鮮民衆に丁寧に自制を訴える。「3.1万歳の群衆は、封建の迷妄に陥り、集団催眠によるカラ元気なだけで、時間が過ぎれば日本を受け入れる」と、当時誰より良く分かっていたと回顧している。

彼は日帝時代、中樞院参議、顧問、副議長を務め、日本の伯爵号を貰っている。彼は、旧韓末の朝鮮民衆を、こう言っている。
「公共精神は不足し、虚勢と嘘に長けている。ギャンブラーと詐欺師の根性を、全て備えている。日本に統治されなければ、朝鮮人は近代市民に生まれ変わる事は出来無い」

現在の韓国人が聞けば、誰でも腹が立つほどの嘲弄であり、非難である。彼は、日本人の高い市民意識と徳性を称賛し、朝鮮人を封建の圧制から解放するには、日本の統治が必要だと言う信念を持っていた。 誰がこの人に石を投げる事が出来よう?

1945年大日本帝国連邦解体、20世紀最大の悲劇的事件

1897年、朝鮮は大韓帝国になった。1910年、日本は大韓帝国を併合した。朝鮮人は、植民地の民になったと言うより、大日本帝国連邦の国民になったと言うのが正しい。1945年、大日本帝国連邦の解体は、歴史の退化である。大日本帝国連邦に属する満洲人、朝鮮人、台湾人、日本人は苦しい時代を送り、様々な国が分断される悲劇を経験した。台湾に蒋介石軍が攻め込み、満洲人は、野蛮な中国文明圏に帰属した。北朝鮮には、金成柱(キム・ソンジュ)と言う悪魔が登場し、金成柱(キム・ソンジュ)は、再び朝鮮半島を戦争に追い込んだ。韓国に米軍が駐留し、民主政治の枠組みを維持した事は幸いだった。
※金成柱(キム・ソンジュ)=金日成(キム・イルソン)の出生名

朝鮮 1392~1897年
大韓帝国 1897~1910年
大日本帝国連邦 1910~1945年
米軍政1945~1948年
大韓民国1948~

1945年の日本国連邦の解体は、20世紀最大の悲劇的事件だ。信念の親日革命家 朴重陽(パク・チュンヤン)が言うように、日本国が大韓民国を救ったのである。1910年の韓日併合は歴史の進歩で、1941年12月8日の太平洋戦争の開始は歴史の退化である。勝つ事の出来ない戦いを始めた事は致命的なエラーだった。当時の日本最高指導部の自惚れと独善が、大日本国連邦解体と言う悲劇を招いたのだ。

『植民地のトラウマ』と言う不治の病

2002年に出版された<親日派の為の弁明>は驚くべき本だ。著者の金完燮(キム・ワンソプ)は、事実に基づき勇気ある著書を出版した。彼は無数の告訴・告発に直面し、罰金を課せられ、一部の者達に胸倉を掴まれるなど侮辱された。この本は、『青少年有害図書』に指定された。著者 金完燮(キム・ワンソプ)は、こう主張する。

1806年、ナポレオン軍がドイツに侵攻した時、哲学者ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ(Johann Gottlieb Fichte、762年5月19日 - 1814年1月27日)は、『ドイツ国民の叫び』と言う演説で、ナポレオンを侵略者と規定し、ドイツ民族の抵抗を訴えた。しかし、ドイツの哲学者ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel、1770年8月27日 - 1831年11月14日)は、ナポレオン軍がプロイセンの古い王政と官僚体制を清算し、国民主権の革命理念を伝播した事に注目した。ヘーゲルは、民族主義と愛国心に燃えるフランス国民軍を見て感銘を受けたナポレオンこそ、ヨーロッパの封建王朝を打破し、近代文明時代の幕を開けた偉大な開拓者と見ている。当時、大半のヨーロッパの王政国家は、フランス革命が自国に広まる事を恐れ、それを防ごうとした。

ヘーゲルは、『ナポレオンこそ生きる世界精神』で、ドイツ国民は、むしろフランス革命軍の側に立ち、旧体制に対抗し、戦うべきと主張した。フィヒテは、中身の無い民族主義を重要視したが、ヘーゲルは、侵略が実際に齎した事は何か?に注目した。

100年前の朝鮮の状況に置き換えると、フィヒテ側は、安重根(アン・ジュングン)や金九(キム・グ)らで、ヘーゲル側は、金玉均(キム・オクキュン)、朴泳孝(パク・ヨンヒョ)徐載弼(ソ・ジェピル)、崔南善(チェ・ナムソン)、李光洙(イ・グァンス)尹致昊(ユン・チホ)、朴重陽(パク・チュンヤン)など、いわゆる親日派と言われる人達である。今日、世界の歴史家は、ヘーゲルと同じ様に、ナポレオンを偉大なフランス革命の守護者として報告し、彼の征服戦争を世界精神の活動と解釈している。
1804年12月、ナポレオンは、国民投票で皇帝となり、フランス国民は彼を革命の真の守護者と崇めた・・・(中略)・・・

我々は、侵略と征服の歴史を見る時、1民族が異なる民族を侵略・征服する事を『悪』と言う一本調子な見方から抜け出し、果たしてその征服が齎したものは何かに注目する必要がある。民族と言うものは発明されてから僅か200年程度の政治的イデオロギーに過ぎず、現代社会では、その意味が問われている・・・(中略)・・・日本の台湾、朝鮮、中国への進出は、革命と近代精神を伝播すると言う意図を前提とし、十分正当性があると評価出来る。大日本帝国は、朝鮮と台湾で民衆を押さえ込んだ古い体制を清算し、近代的な法の統治を実現し、その結果、日本統治地域の住民(朝鮮、台湾、満州)は、近代文明の洗礼を受け、人間らしい生活の諸条件を手に入れたと言える。

中国山東省が、大韓民国の植民地になったと仮定してみよう。韓国人は、領土が広くなったと喜ぶかも知れない。しかし、山東省の人口9000万人を養う必要があると考えれば、背筋が寒くならないか?山東省の中国人を、軍隊を動員し、恐怖政治を行い、収奪ばかりして、甘い汁を吸い続ける。そんな経済システムは、継続可能だろうか?山東省の中国人が、韓半島とソウルに押し寄せると考えれば、これまた、大きな頭痛の種ではないか?著者 金完燮(キム・ワンソプ)は、こんな質問を投げ、日本の朝鮮統治が収奪の概念とは異なる事を力説している。

尹致昊(ユン・チホ)は、英国人の作家サミュエル・ジョンソン(Samuel,Johnson)の名言を借り、『愛国心は卑怯者の最後の逃げ口上』として、上海臨時政府の偽善者を攻撃した。日本は35年間、朝鮮で驚くべき事を実行している。民族主義の枠組みを壊し、大韓民国の歴史を世界史的な意味で省察する事は出来ないだろうか?

「親日派のための弁明」は優れた著書

台湾人に、植民地のトラウマは無い。台湾人は、日本に好意を示している。大韓民国は、植民地のトラウマと言う不治の病にかかっている。そろそろ韓国人は、朝鮮500年の封建野蛮政権を崩壊させた日本の朝鮮進出について、もう少し広く、客観的な見方をすべき時を迎えている。35年間、近代文明を伝播した日本があったからこそ、大韓民国は現在の発展と繁栄を享受出来た。安重根(アン・ジュングン)と金九(キム・グ)の銅像を撤去すべき時が来ている。姑息な民族主義は、ゴミ箱に投げ捨てる必要がある。独島(ドクト)を地図から消し去り、警察兵力約40人の撤収を考慮すべき時が来ている。大韓民国には、日本の35年の統治を称賛する本は無い。

金完燮(キム・ワンソプ)の著書『親日派の為の弁明』は、優れた本である。歴史は過去であり、現実であり、未来を切り開く武器である。フランスの某歴史学者は、「歴史家とは、歴史を誤って眺める民衆の目から白内障を取り除く眼科医」と指摘している。六堂崔南善(ろくどうさいなんぜん)の念願だった様に、大韓民国は優れたな歴史学者を切実に待ち望んでいる。『1905~1945年は、偉大な40年』だった。韓国人には、心の痛みを伴う、辛く、紛らわしいプロセスになる可能性が高い。しかし、この様に主体的で、能動的な歴史の省察を通じ、韓国と日本は友情と親善を続ける事が出来る。

安重根(アン・ジュングン)の銅像を撤去すべき5るの理由

「高宗(コジョン)と朝鮮王室のソンビと同じ空の下では生きて行けない。お前らが死ぬか、我々が死ぬかの二者択一である」
20世紀初め、宋秉畯(ソン・ビョンジュン)李容九(イ・ヨング)らが主軸だった一進会の革命家の信念である。安重根(アン・ジュングン)は、韓国人の巨大な偶像的存在だ。私は、安重根(アン・ジュングン)の銅像の撤去を敢えて訴える。
理由は、以下の通りである。

1. 安重根(アン・ジュングン)は、解放後約70続く、反日洗脳教育の象徴だからである。
2 安重根(アン・ジュングン)の銅像は、日本軍が侵略軍で無く、解放軍だったと言う歴史的真実を冷遇するからである。
3. 安重根(アン・ジュングン)は、高宗(コジョン)を暗殺せず、反対に朝鮮を求めた世界的革命家伊藤博文を暗殺したからである。
4. 安重根(アン・ジュングン)の銅像は、日本の35年の統治時代が、朝鮮2000年の歴史の黄金期だったと言う事実を否定する象徴物だからである。
5. 安重根(アン・ジュングン)の銅像は、21世紀の韓国と日本の友好と協力を邪魔するからである。

安重根(アン・ジュングン)への手紙

安重根(アン・ジュングン)、あなたは高宗(コジョン)を暗殺すべきでした。あなたが高宗(コジョン)を暗殺していれば、真の歴史の英雄として記録され、私もあなたを尊敬したでしょう。朝鮮民衆に大きな興味と愛情を持つ伊藤博文と言う世界的革命家を暗殺する事で、あなたは歴史に大きな恥と汚名を残したと事実が、私を悲しくさせます。
安重根(アン・ジュングン)、あなたには、深い物足りなさを感じます。

韓国人の被害意識を支える過激無知集団、大韓民国歴史学界

大韓民国歴史学界は、韓国人の被害意識を支え、友好を阻害する過激無知集団である。大韓民国歴史学界は、事実を歪曲し、国民に朝鮮2000年の歴史など、雲を掴むような自負心を持たせている。この様な雲を掴むような自負心が、反日感情に繋がっている。大韓民国歴史学界は、反省と省察が必要である。我々は、韓国人である前に世界市民である。韓国人が歴史を深く直視すれば、中国の東北工程に、歴史を歪曲すると怒る事は無く、日本の35年の統治が、現在の大韓民国の発展と繁栄の礎になっていると言う事実を見逃す事は無い。21世紀まで続く反日民族主義と言う宗教的迷信から韓国人は抜け出さすべき時が来ている。 韓国が歴史を歪曲している。(Korea twist History)韓国人よ、大きな心の痛みが伴うとしても、真実を直視しましょう。そうすれば日本と韓国は、21世紀の東北アジアを牽引する真の友好と親善を作り出せるはずである。朴重陽(パク・チュンヤン)と安重根(アン・ジュングン)、あなた方は、どちらの側に立つだろうか?信念の親日革命家 朴重陽(パク・チュンヤン)と安重根(アン・ジュングン)が妥協する事はあり得無い。歴史は、この様に残忍である。
http://blog.naver.com/diogenes70


登場人物が多過ぎて長くなるので、調べてリンクしておいた。
興味がある人は見てね?(笑)

金完燮が語る、衝撃作『親日派のための弁明』の制作秘話


「日帝侯爵 李海昇(イ・ヘスン)の孫 国家に228億 返還せよ」おいおい調べて、情報を追加して行くつもり。
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nanakotedy

Author:nanakotedy
イタリア ローマで生まれ、10歳までイタリア育ち
大学卒業後、帰国
母方の祖父母と同居中

度重なる歴史認識の違いと言う言葉に、改めて近代史を学び直しています

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